伝記
エドワード・ヴィクター・アップルトンは、1892年9月6日、イングランド北部ウェスト・ヨークシャーのブラッドフォードに生まれた。父ピーターは倉庫に勤める事務員、母はメアリー・ウィルコックで、本人は長男であり、イザベルとドロシーという二人の妹がいた。名のエドワードはテノール歌手エドワード・ロイドにちなんだが、本人はミドルネームを好み、家族からは「ヴィク」と呼ばれた。11歳で奨学金を得てハンソン男子グラマースクールに進み、学校のクリケットとサッカーの主将を務めた。1910年にはアイザック・ホールデン奨学金を得て、ケンブリッジ大学に入る道が開けたが、19歳になるまで入学できず、1年待って1911年にセント・ジョンズ・カレッジの学生となった。1913年に自然科学の学位を得て、1914年に物理学の修士となり、ハッチンソン研究奨学金でトムソンやラザフォードのもとで学んだ。ケンブリッジではオリヴァー・ロッジやマルコーニにも会い、夏休みにはブラッグの金属のX線結晶学の仕事を手伝った。
1914年8月に第一次世界大戦が始まると、いったん王立工兵隊への任官を願い出たが、待ちきれずに9月、ウェスト・ヨークシャー連隊の兵卒として入隊し、すぐ伍長になった。1915年1月9日に任官が認められて工兵隊の少尉となり、初の無線の課程で首席となって、病に倒れた教官に代わり二期目の課程を教えた。その後は、フェニー・ストラトフォードの信号補給所で終戦まで勤めた。1915年5月29日には遠縁のジェシー・ロングソンと結婚した。のちに二人の娘、1920年生まれのマージェリーと1927年生まれのロザリンドをもうけた。1915年にはフランス軍が捕獲した、通信を傍受するドイツの装置を、二人の大尉とともに調べている。
戦後はキャヴェンディッシュ研究所で働き、1924年に電離層までの距離を測る実験に成功した。1901年のマルコーニの大西洋を越えた無線通信は、電波が地球に沿って曲がって伝わることを示し、1902年にはヘヴィサイドらが大気の上層に電波を反射する層があると予想していた。アップルトンの実験は、その層の存在を証明するとともに、そこまでの距離を測ったものである。ボーンマスの放送局の電波をケンブリッジの近くで受信し、直接届いた電波と電離層で反射した電波との干渉の波形から距離を計算した。地上100キロのE層を確認し、1926年には地表200〜300キロにF層があることも確かめた。F層はアップルトン層と呼ばれる。
1924年から1936年までロンドン大学で物理学の教授を務め、1927年に王立協会のフェローとなった。1936年にケンブリッジ大学の自然哲学の教授となり、ラザフォードが同年10月に亡くなると、キャヴェンディッシュ研究所の所長代行を務めた。1939年、第二次世界大戦の直前に科学産業研究省の事務次官となり、英国の科学の知識を戦争のために結集させた。戦前の電離層研究から生まれたレーダーの開発にも深く関わった。1947年にノーベル物理学賞を受け、1948年から亡くなるまでエディンバラ大学の学長を務めた。1965年4月21日に没した。
同じ年に亡くなった人物
- アードルフ・シェルフ (1965年没)
- ドロシー・ダンドリッジ (1965年没)
- エリック・アブラハムソン (1965年没)
- パウリーネ・フォン・ヴュルテンベルク (1877-1965) (1965年没)
- フェリックス・フランクファーター (1965年没)
同じ地域に関係する人物
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- ウィリアム・スペアズ・ブルース (1921年没)
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- John Wilson (1854年没)
- ジョン・ハットン・バルフォア (1884年没)