伝記
アダム・スミスは、イギリスの哲学者であり、倫理学者、経済学者である。1723年6月5日にスコットランドで生まれ、1790年7月17日に没した。経済学の父と呼ばれ、主著に倫理学書『道徳感情論』(1759年)と、経済学書『国富論』(1776年)がある。
スミスが生きた18世紀のイギリス社会は、政治の民主化や、近代科学の普及と技術革新、経済の発展といった啓蒙の世紀であった一方、格差と貧困、財政難と戦争といった深刻な社会問題も抱えていた。こうした光と闇の両面が、その思想に大きく影響したとされる。海沿いの町カコーディに生まれ、父は生後まもなく亡くなった。母の手厚い庇護のもと、留学や外遊の時を除いて、母が没する1784年まで生活を共にした。生涯独身であった。
グラスゴー大学で、スコットランド啓蒙の中心人物だった哲学者フランシス・ハッチソンの下で道徳哲学を学んだ。ハッチソンは、グロティウスやプーフェンドルフらの自然法思想を継承する道徳哲学者であり、スミスもその潮流から大きな影響を受けた。卒業後は、イングランド国教会の聖職者を目指すスコットランド人学生のための奨学金を受け、オックスフォード大学のベイリオル・カレッジに進み、6年間ギリシアやローマの古典を学んだが、それは主に独学で、のちに中途退学してスコットランドへ戻った。1748年に、ケイムズ卿ヘンリー・ホームや母方の家族らの支援を受け、エディンバラで文学と修辞学、法学、歴史の講義を始めた。1751年にグラスゴー大学の論理学教授となり、翌年道徳哲学教授に転じた。講義は、先任のハッチソンにならって、ラテン語ではなく英語で行った。1758年には学部長に選ばれ、のちにこの時代を、これまでの人生で最も幸せで名誉のある時期だったと振り返っている。1750年頃に哲学者ヒュームと出会い、ヒュームが他界する1776年まで親交を続け、その啓蒙思想から大きな影響を受けた。
1759年に『道徳感情論』を出版した。社会の秩序の根幹には人間のどのような本性があるかを問い、師のハッチソンが社会秩序をひとつの特殊な感情に起因すると考えたのに対し、スミスは、さまざまな感情が作用し合った結果として形成されると考えた。その感情とは、端的には同感である。他人の感情や行為の適切性を評価する能力をいい、現代の神経科学者や行動経済学者からも注目されている。人々は、同感を通じて、自分の感情や行為が評価されていることを意識し、是認を望むと考えた。利害対立から独立した中立的な基準を、公平な観察者と呼び、人々は胸中の公平な観察者の視線を意識して行動していると論じた。この本は自愛心を主張するものとして、後任のトマス・リードらに非難され、かつては主著として読まれることも少なかった。
1760年代前半にグラスゴー大学を辞職し、スコットランド貴族ヘンリー・スコットの家庭教師として、約3年間フランスやスイスを旅行した。この間にヴォルテール、ケネー、テュルゴーらフランス啓蒙の重鎮と交流した。帰国後は執筆に専念し、1776年に『国富論』を出版した。1778年にスコットランド関税委員に任命され、1787年にはグラスゴー大学名誉総長に就任した。1790年にエディンバラで67歳で病死した。生前は「法と統治の一般原理と歴史」に関する書物を出す計画があったが、死の数日前に友人に命じて、ほぼ全ての草稿を焼却させた。残った草稿は『哲学論文集』(1795年)として出版された。1895年には、グラスゴー大学時代の学生の講義ノートが見つかり、『法学講義』として公刊された。
同じ年に亡くなった人物
- イズラエル・パットナム (1790年没)
- ジャハーン・シャー (1790年没)
- ジャック・アントワーヌ・ギベール (1790年没)
- ヘンリー・フレデリック (カンバーランド公) (1790年没)
- ヤン・クシチテル・クルンプホルツ (1790年没)
同じ地域に関係する人物
- コンプトン・マッケンジー (1972年没)
- A. Berriedale Keith (1944年没)
- ジェイムズ・グラハム (初代モントローズ侯爵) (1650年没)
- ジョン・ノックス (1572年没)
- ジミー・マレー (2015年没)