伝記
フランソワ1世は、1414年5月14日にヴァンヌで生まれ、1450年7月18日に没したブルターニュ公である。1442年から在位し、「最愛公」とも呼ばれた。ブルターニュ公ジャン5世と、フランス王シャルル6世の娘ジャンヌ・ド・フランスの長男で、弟にピエール2世(1418年生まれ)とジル(1420年生まれ)がいた。
15歳のときに、サヴォイア公女ボンヌと婚約したが、ボンヌは結婚の直前、15歳で亡くなった。1431年、百年戦争でイングランドとフランスの間で動向が定まらなかった父をつなぎとめるため、フランスの有力者ヨランド・ダラゴンが仲立ちして、ブルターニュとフランスの和睦が結ばれた。同じ年の8月、フランソワはヨランド・ダラゴンの娘で、シャルル7世の王妃マリー・ダンジューやロレーヌ公ルネの妹にあたるヨランド・ダンジューと結婚した。この結婚で生まれた一人息子ルノーは、1434年に生まれたが、1439年ごろに夭折した。ヨランドも1440年に没した。1442年に父が死去して公位を継ぎ、同じ年に、スコットランド王ジェームズ1世の次女イザベラ・ステュアートと再婚した。二人の間には、マルグリットとマリーという2人の娘が生まれた。
治世の初めには、ノルマンディーのイングランド軍から、何度か攻撃を受け、サマセット公がラ・ゲルシュを奪って略奪した。1445年の黄金羊毛騎士団の総会では、騎士に選ばれたが、首飾りは受け取らなかった。フランソワの時代には、祖先が設けたエルミーヌ騎士団に、小麦の穂を編んだ新しい首飾りが加えられた。同じ年ごろ、イングランドに通じていた親英派の弟ジルと対立し、これを投獄した。1448年には、ペンティエーヴル家と和解し、没収していた財産の一部を返した。1449年にイングランド側の傭兵隊長が不意をついてフージェールを奪うと、フランソワは軍と大砲を動かして町を取り戻し、フランスのノルマンディー征服作戦にも全面的に協力した。叔父のリッシュモン大元帥に指揮されて、6000の兵を率い、ブルターニュの援軍で西からノルマンディーの町を攻め落とした。
1450年、叔父リッシュモンが、ジルの助命を願い出ると、フランソワはこれと対立して兵の供出を止めた。だが、4月15日のフォルミニーの戦いで、叔父の率いるフランス軍がイングランド軍に大勝すると、一転して叔父に協力し、ブルターニュ軍を叔父に委ねた。ジルは同じ年に獄中で絞め殺された。フランソワが命じたのか、地方の役人が行ったのかは分からないが、同時代の人々はフランソワを責任者とみなした。フランソワは、その直後の7月18日に、36歳で死去した。遺言によって、ルドンのサン=ソーヴール修道院の祭壇の前に葬られた。娘たちは後継者と認められず、公位は弟のピエール2世、叔父のアルテュール3世、娘婿でもある従弟のフランソワ2世へと続いた。
同じ年に亡くなった人物
- ジャック・ケイド (1450年没)
- アニェス・ソレル (1450年没)
- ルートヴィヒ1世 (1450年)
- アフマド・イブン・アラブシャー (1450年没)
- ヴァシーリー・コソイ (1450年代没)
同じ地域に関係する人物
- フランソワ・ド・シャレット (1796年没)
- マルグリット・ド・フォワ (1486年没)
- ピエール2世 (ブルターニュ公) (1457年没)
- アンリ・ベクレル (1908年没)
- ピエール・カンブロンヌ (1842年没)