伝記
ピーター・ローレは、1904年6月26日、オーストリア・ハンガリー帝国のルジョムベロク(現在のスロヴァキア領)で、ユダヤ系の家に、ラディスラウ(ラースロー)・レーヴェンシュタインとして生まれた。第一子であった。父アロイス・ラヨシュは、この町の繊維工場の会計主任となって移り住んだ人で、予備役の中尉でもあったため、演習で家を空けることが多かった。家庭ではドイツ語が母語だった。母エルヴィラは1908年、彼が4歳のときに亡くなり、残された3人の幼い息子のうち末子は生後数か月だった。その後、父は母の親友だったメラニー・クラインと再婚して、さらに二人の子をもうけたが、ラースローと継母は生涯うまくいかなかったという。1913年、第二次バルカン戦争が始まると、父は召集されることを見越して家族をウィーンへ連れて移った。父は1914年から15年の冬に東部戦線に従軍したのち、心臓の問題から捕虜収容所の責任者に回された。
父を喜ばせるために、ごく若い頃は昼に銀行員として働き、夜は劇団で演じていたが、銀行の仕事が合わず、家を出ることにした。17歳のとき、ウィーンで本格的に舞台のキャリアを始め、貧しさのなかにあったので、のちに「自分は本当に飢えを知っている唯一の俳優だと思う」と語っている。ウィーンのほか、ブレスラウやチューリヒでも一時期舞台に立った。1920年代の終わりにベルリンへ移り、教師の助言で芸名をピーター・ローレとした。劇作家ブレヒトと出会い、その戯曲にも出演している。ブレヒトの音楽劇ではナカムラという役でヘレーネ・ヴァイゲルらと共演した。ブレヒトは友人となったローレについて、長い台詞の部分でこそ、すべての文の底にある身振りの深い意味を際立って示す、と評した。
昼は映画、夜は舞台という生活のなかで、フリッツ・ラング監督の『M』(1931年)の主役、少女を殺す連続殺人者ハンス・ベッカートを演じて、28歳で衝撃的な映画デビューを果たした。ラングは彼が適役だと確信し、オーディションもせずに起用したという。撮影中、ラングとの関係は緊張していたが、ラングは出来上がった演技を見事だと考えた。映画史家ロッテ・アイスナーは、その姿を、柔らかくどこか気の毒な体つき、飛び出した目、厚く締まりのない唇、陰険さと奇妙な正確さが混じった声と評している。この役で世界的に有名になった反面、危険な人物という役柄から抜けられなくなった。ナチスは、のちにこの『M』を悪しきユダヤ人の例として宣伝映画に使ったが、当初ヒトラーやゲッベルスは、彼がユダヤ人とは知らずに、この殺人者の演技を称賛していたといわれる。1930年代にナチス党が台頭すると、ユダヤ人だった彼はパリに続いてロンドンへ活動の場を移し、ヒッチコックの『暗殺者の家』に悪役で出演した。これをきっかけにハリウッドに渡り、『マルタの鷹』や、反独的な要素の強い『カサブランカ』などで、個性派の脇役として活躍した。頭脳明晰で柔術の使い手の日本人探偵「モト・ケンタロー」を演じるシリーズに出て、戦後も『八十日間世界一周』で日本人パーサーを演じるなど、日本人役を演じる機会が多かった。1964年3月23日、ハリウッドの自宅で死去した。59歳であった。
同じ年に亡くなった人物
- ジャワハルラール・ネルー (1964年没)
- ヴァシリー・グロスマン (1964年没)
- ダグラス・マクレガー (1964年没)
- ギジェルモ・スビアブレ (1964年没)
- ジャン・レー (1964年没)
同じ地域に関係する人物
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- レス・クラーク (1979年没)
- ジョージア・ヘイル (1985年没)