HISTORICAL PERSON · 1964年没

フランス・エーミル・シランペー

フィンランドの作家。1919年の『聖貧』で出世作を得て、1931年の『若くして逝きし者』で世界的な評価を受け、1939年にノーベル文学賞を受賞した。

生涯
1964年没
死亡地
フィンランド共和国(ウーシマー県 / ヘルシンキ)
出生地
フィンランド共和国(ハメーンキュロ)
出典
世界地図
フィンランド共和国(ウーシマー県)

伝記

フランス・エーミル・シランペーは、1888年9月16日にフィンランド南西部のハメーンキュロで生まれ、1964年6月3日にヘルシンキで没したフィンランドの作家である。1939年にノーベル文学賞を受けた。日本語ではシッランパーとも表記される。

貧しい小農の家に生まれた。1905年、両親は、ハイニヤルヴィ村にあるかつての靴職人の小屋、トッリンマキを買い、シランペーは青年期をここで過ごして、最初の小説を書いた。両親は、1921年に父が没するまでトッリンマキで暮らした。その後、小屋は競売にかけられ、母は息子の家族とともに暮らすようになった。タンペレの学校を終えて、1908年にヘルシンキ大学で学び始めた。専攻は薬学とも生物学ともされる。ヘルシンキでは、エーロ・ヤルネフェルト、ジャン・シベリウス、ユハニ・アホらと交流した。1913年に学業をやめて故郷に戻り、著作に専念して、新聞に記事を書いた。1916年に最初の小説『人生と太陽』を発表した。

1919年の小説『聖貧』で世に出て、1931年の『若くして逝きし者』で世界的な評価を得た。登場人物は、農村の女中や小作人、小地主といった、フィンランドの田舎の庶民であり、人々は、運命を、受け身の諦めや穏やかな無関心とともに受け入れる。ときに、ゆっくりした没落をたどりながら、叙情的に描かれる生活と自然が、束の間の安らぎや幸せを与えるという。そのほかの作品に、『男の道』(1932年)、『夏の夜の人々』(1934年)、『八月』(1941年)などがある。生涯に二十ほどの長編や短編集を書き、多くが映画化された。

フィンランド内戦のとき、シランペーは中立を保とうとしたが、赤衛軍と白衛軍の双方から相次いで逮捕された。どちらの暴力も批判し、内戦のさなかに、ベルギーの象徴主義の作家メーテルリンクの著作をフィンランド語に訳した。白衛軍が勝利した後の報復の処刑には、怒りを抱いたとされる。1939年、「祖国の農民階層に対する深い理解と、彼らの生き方と自然との関係を描いた高い技術」に対して、ノーベル文学賞が贈られた。授賞は冬戦争の勃発と重なり、家族とともに列車でストックホルムへ向かって賞を受け取った。授賞式の後、冬戦争のほとんどの期間をスウェーデンで過ごし、フィンランド人を支援する団体の催しで演説をした。1939年に書かれた彼の詩は、翌年曲がつけられて愛国歌になった。小惑星1446番には、その名がつけられている。

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