HISTORICAL PERSON · 1438年没

エルンスト (バイエルン公)

上バイエルン=ミュンヘン公。1397年に父の死で弟ヴィルヘルム3世と遺領を相続し、伯父シュテファン3世と対立した。1429年にヨハン3世の遺領を従兄弟らと分割し、シュトラウビングなどを獲得した。

生涯
1438年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バイエルン州 / ミュンヘン)
出生地
ドイツ連邦共和国(ミュンヘン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バイエルン州)

伝記

エルンストは、1373年にミュンヘンで生まれた上バイエルン=ミュンヘン公で、ヨハン2世の長男である。母は、ゲルツ伯マインハルト6世の娘カタリーナである。弟にヴィルヘルム3世、妹にドイツ王ヴェンツェルの2番目の妃となったゾフィーがいる。1395年1月26日に、ミラノの僭主ベルナボ・ヴィスコンティの娘エリザベッタと結婚した。1396年にはミュンヘン市民の蜂起を鎮めた。

1397年に父が死ぬと、弟のヴィルヘルム3世とともに遺領を相続した。しかし、伯父の上バイエルン=インゴルシュタット公シュテファン3世が領土を奪おうとして対立し、ミュンヘン市民の暴動も起こった。1402年にはシュテファン3世を、インゴルシュタットだけの統治に押し込めた。最終的にはプファルツ選帝侯ループレヒト3世の仲介で、エルンストとヴィルヘルム3世の領有となって解決し、暴動も鎮められた。1410年にもミュンヘン市民の蜂起を押さえた。1414年には、従兄弟の下バイエルン=ランツフート公ハインリヒ16世とインコ同盟を結び、もう1人の従兄弟であるシュテファン3世の子ルートヴィヒ7世と戦った。

1421年以降、ルートヴィヒ7世との争いは勢いを増し、翌1422年にアリング近郊で起こった戦いでは、エルンストが勝った。1425年に遠縁の下バイエルン=シュトラウビング公ヨハン3世が没してシュトラウビング=オランダ家が断絶すると、1427年に兄弟は遺領のシュトラウビングの部分を獲得した。1429年のプレスブルクの仲裁で、ヨハン3世の遺領は、ルートヴィヒ7世、ハインリヒ16世と正式に分割され、エルンストはシュトラウビングの町を含む地域などを得た。彼はルクセンブルク家と結んで、義兄のボヘミア王ヴェンツェル4世を、新しいドイツ王ループレヒトに対して支持し、ヴェンツェルの弟ジギスムントがフス派を相手にした戦いでも支えた。このため、バイエルン北部は1434年まで荒らされた。

晩年は、子のアルブレヒト3世と対立した。アルブレヒト3世は侍女アグネス・ベルナウアーと密かに結婚しており、彼女は魔女の疑いをかけられ、1435年にドナウ川に沈められて殺された。エルンストの命によるともいわれる。同じ年の11月に和睦が成り、アルブレヒト3世が別の女性と結婚して事態は収まった。1438年7月2日にミュンヘンで死去し、聖母教会に葬られた。子はアルブレヒト3世のほか、ベアトリクス、エリーザベト、アマーリエがおり、庶子も3人いた。

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