HISTORICAL PERSON · 1434年没

ルイ3世・ダンジュー

名目上のナポリ王を経てカラブリア公となり、アンジュー公やプロヴァンス伯なども務めた。母の縁でアラゴン王位継承の候補となったがフェルナンド1世が継いだ。ナポリ女王ジョヴァンナ2世の後継者に選ばれた。

生涯
1434年没
死亡地
イタリア共和国(コゼンツァ県 / コゼンツァ)
出生地
フランス共和国(アンジェ)
出典
世界地図
イタリア共和国(コゼンツァ県)

伝記

ルイ3世・ダンジューは、名目上のナポリ王(在位1417年〜1426年)で、のちにカラブリア公(1426年〜1434年)となり、プロヴァンス伯、メーヌ伯、アンジュー公でもあった。1403年9月25日にアンジェで、ルイ2世・ダンジューとヨランド・ダラゴンの長男として生まれた。弟妹に、のちフランス王シャルル7世の王妃となるマリー、アンジュー公ルネ、メーヌ伯シャルル4世がいる。母のヨランドは、アラゴン王ジャン1世の娘で、アラゴン王マルティン1世の姪にあたるため、ルイはアラゴンの王位をめぐる候補の一人となった。

1410年にマルティン1世が嫡出の子を残さずに亡くなると、母ヨランドが、当時6歳のルイの名で王位を求めた。アラゴンの継承法は女性よりも男性の親族を優先するとされていた。ルイは6人の候補の一人で、アラゴンの貴族ウレア家やバレンシアのセンテリェス家の支持、カタルーニャの市民の共感を得て、もう一人の有力候補ウルジェイ伯ハイメと並ぶ位置にいた。しかし、有力な支持者だったサラゴサ大司教が、ウルジェイ派の首領に殺されると、情勢は悪くなった。支持者たちが軍事的な保護を求めても、ナポリからは遠く、送ることができず、多くが近くにいて大軍を動かせるフェルナンド・デ・アンテケラの支持へ移った。1412年のカスペの妥協により、アラゴン王にはカスティーリャ王家のフェルナンド1世が選ばれ、ルイの望みは破れた。ヨランドと子らは、その後も自らをアラゴン王と称した。

1417年に父が亡くなると、ルイはプロヴァンス伯領とナポリ王国への権利を受け継いだ。当時ナポリ王国では、アンジュー家の二つの系統が王位を争っており、ルイは正統とされる系統の側にいた。女王ジョヴァンナ2世は子がなく、アラゴン王アルフォンソ5世を養子として後継者にしていた。1419年12月4日、教皇マルティヌス5世は、女王の意向に反してルイをナポリ王として認めた。1420年、ルイはカンパーニアに上陸してナポリを包囲したが、アラゴンの艦隊が来たため撤退した。アルフォンソが1421年に市に入ると、ルイは戦費に疲れた教皇の支持を失った。しかしアルフォンソと女王の仲が悪くなり、女王はアヴェルサへ移ってルイと結んだ。ミラノとヴェネツィアとの同盟を得て、1423年に女王と和解したルイは、女王の養子で後継者となり、カラブリア公の称号を受けた。アルフォンソがスペインへ戻ると、王国は平穏になった。

1432年、サヴォイア公アメデーオ8世の娘マルゲリータと結婚し、カラブリアの所領に移って暮らした。しかしルイが王位に就くことはなかった。1434年11月12日、女王ジョヴァンナ2世の死の数か月前に、コゼンツァでマラリアのため亡くなった。31歳だった。子はなく、所領は弟ルネが相続して、ナポリ王となった。マルゲリータは10年以上、寡婦のまま過ごしたのち、再婚している。

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