HISTORICAL PERSON · 1430年没

アンドレイ・ルブリョフ

ロシアの修道士で、15世紀モスクワ派を代表する聖像画家。旧約聖書の創世記に題材を取った『至聖三者』のイコンが最も重要な作品とされる。

生涯
1430年没
死亡地
ロシア連邦(モスクワ / アンドロニコフ修道院)
出生地
モスクワ大公国(モスクワ大公国)
出典
世界地図
ロシア連邦(モスクワ)

伝記

アンドレイ・ルブリョフは、1360年頃に生まれ、1430年にモスクワで亡くなったとされるロシアの修道士であり、15世紀ロシアのモスクワ派を代表する聖像画家である。生涯についての情報は乏しく、生まれた場所も分かっていない。おそらくラドネジのニコンが院長を務めた時期の至聖三者聖セルギイ修道院で暮らしていたと考えられている。師にはギリシャ人フェオファンがいたとされ、フェオファンはビザンティン美術の重要な画家で、ロシアに移り住んだ人物である。1405年頃に修道士となり、アンドレイの名を用いるようになったと伝えられる。

彼の名が記録に初めて現れるのは1405年である。この年、モスクワのクレムリンにある生神女福音大聖堂のイコンと壁画の装飾に、フェオファン、ゴロデツのプロホルとともに携わった。画家の名を並べた一覧で、ルブリョフの名は最後に置かれており、地位でも年齢でも最も若い者として扱われていたことがうかがえる。当初はフェオファンの助手であったとされる。

1408年には、ダニイル・チョールヌイらとともにウラジーミルの生神女就寝大聖堂の壁画を制作した。これは、正確な年代が分かり、しかも現存する彼の唯一の作品とされ、壁画は一部が残っている。なかでも重要なのは「最後の審判」の構図で、伝統的には恐ろしい場面であったものを、正義の勝利を祝う輝かしい場面に変えたと評される。ビザンティンの伝統の内にありながら、硬直した形式から離れ、人物に柔らかさを与え、表情、とりわけ顔にいっそう人間的で穏やかな趣を持たせた点が特色とされる。

最も重要な作品は、旧約聖書の創世記に題材を取った『至聖三者』のイコンである。板にテンペラで描かれた縦114センチ、横112センチの作品で、もとは知人の修道士が瞑想するために描かれたという。おそらく1422年から1428年の間に、至聖三者聖セルギイ修道院の至聖三者大聖堂のために描かれたとされる。古くから正教会では、アブラハムのもとに三人の天使が訪れる場面を至聖三者の顕現の一つと捉え、アブラハムとサラにもてなされる情景が描かれてきたが、ルブリョフは三人の天使だけを取り出して描いた。細部を省き、三人が静かに語らう姿を円を思わせる曲線のリズムで構成している。

後に、この図像はロシア正教会に唯一正当な至聖三者の聖像として認められるようになった。1551年にイヴァン4世が召集した教会会議の決定をまとめた『百章』には、至聖三者のイコンを描く際に、ギリシャの画家やルブリョフら名高い画家のように描き、規則を自分の思いつきで変えてはならないとする回答が記されている。『至聖三者』は1904年ごろに再発見されて修復され、現在はトレチャコフ美術館に所蔵されている。正教会ではルブリョフは聖人とされ、1988年に列聖された。記憶日はユリウス暦で7月4日と1月29日の二つがある。カトリックでも、正教会に属さないながら、この『至聖三者』を用いることがある。1959年にはモスクワのアンドロニコフ修道院にアンドレイ・ルブリョフ美術館が開かれた。彼の様式に倣った画家の一派はルブリョフ派と呼ばれ、生涯を題材とするタルコフスキー監督の映画は、1969年のカンヌ国際映画祭で国際批評家賞を受賞している。

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