HISTORICAL PERSON · 1961年没

ルイ=フェルディナン・セリーヌ

フランスの作家・医者。処女作『夜の果てへの旅』は卑語・俗語を交えた文体で知られ、実存主義にも影響を与えた。反ユダヤ主義的な文書で戦後に亡命した。

生涯
1961年没
死亡地
フランス共和国(オー=ド=セーヌ県 / ムードン)
出生地
フランス共和国(クールブヴォア)
出典
世界地図
フランス共和国(オー=ド=セーヌ県)

伝記

ルイ=フェルディナン・セリーヌは、1894年にパリ西郊のクールブヴォアで生まれたフランスの作家であり、医者でもある。本名はルイ=フェルディナン・デトゥーシュという。幼少期の1899年から1907年までは、パリ2区のパサージュ・ショワズールに住み、家の1階では母親が婦人用品の店を開いていた。1912年、18歳で志願兵として入隊したが、1914年に右腕を負傷して野戦病院に入院した。戦功章を授けられ、翌年に除隊した。1919年にエディット・フォレと結婚し、1922年にパリ大学医学部に編入して、1924年には『ゼンメルヴァイスの生涯と業績』で博士号を取得した。1929年にはパリ医学会で、フォード社における医療についての論文を発表している。

1932年に処女作『夜の果てへの旅』を出版すると、大反響を呼んで、一躍文壇の寵児となった。ゴンクール賞の候補にもあげられたこの作品は、過激な内容と、卑語や俗語を交えた文体で知られ、若い頃のサルトルやボーヴォワールを熱狂させ、実存主義にも大きな影響を与えたとされる。ところが1936年の『なしくずしの死』は、前作とは一転して非難を浴びた。この二作や『戦争』『ギニョルズ・バンド』(1944年)などは、「フェルディナン三部作」あるいは「前期三部作」と呼ばれる。

第二次世界大戦の前後には、『メア・クルパ』(1936年)、『虫けらどもをひねりつぶせ』(1937年)、『死体派』(1938年)、『苦境』(1941年)など、反ユダヤ主義的な評論や政治的パンフレットを数多く書いた。サルトルが『ユダヤ人』で行った非難には、1947年に反論の文章を書いている。1943年にリュセット・アルマンゾールと結婚し、戦局の悪化を受けて、1944年にデンマークへの亡命のため出国した。しかし国家反逆罪の疑いで逮捕状が出ており、1945年にコペンハーゲンでフランス政府の要求により拘禁され、1950年に第二次大戦中の対独協力の罪で有罪判決を受けた。翌1951年に、第一次世界大戦中の軍功により特赦され、帰国した。

特赦後に発表した作品は注目されなかったが、1957年に亡命生活を虚実交えて描いた『城から城』を出版し、文壇に返り咲いた。この作品に『北』『リゴドン』を加えた作品群は、「亡命三部作」あるいは「ドイツ三部作」「後期三部作」などと呼ばれ、好評を博した。『リゴドン』は1961年に脱稿され、同年7月1日に彼は世を去った。没年は1962年ともいわれ、死因は脳卒中とされる。賛否の分かれる作家だが、トロツキーやヘンリー・ミラー、ロラン・バルト、レーモン・クノー、カート・ヴォネガット、中上健次らが評価している。反ユダヤ文書は未亡人によって出版が差し止められていたが、2012年に研究者レジス・テッタマンジによる校訂版がケベックの出版社から出た。また、『夜の果てへの旅』などの朗読やインタビューを録音したレコードが後にCD化され、自作自演のシャンソンも収められている。ガリマール社は復刊を計画したが、ユダヤ人団体の抗議を受け、2018年1月に中止した。2021年には遺稿が発見された。

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