HISTORICAL PERSON · 1958年没

リオン・フォイヒトヴァンガー

ミュンヘン出身のドイツ系ユダヤ人の小説家・劇作家。1925年の歴史小説『ユダヤ人ジュース』がベストセラーとなり、ブレヒトとの共著もある。

生涯
1958年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ロサンゼルス)
出生地
ドイツ連邦共和国(ミュンヘン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

リオン・フォイヒトヴァンガーは、1884年7月7日にミュンヘンで生まれたドイツ系ユダヤ人の小説家、劇作家である。父ジークムントは正統派のユダヤ教徒でマーガリンの製造業を営み、リオンは9人きょうだいの長男だった。弟のマルティンとルートヴィヒも作家になり、ルートヴィヒの子は歴史学者のエドガー・フォイヒトヴァンガーである。一族の先祖はフランケンの町フォイヒトヴァンゲンの出身で、1555年の迫害のあと町を追われ、フュルトに移り住んだとされる。祖父のエルカンが19世紀半ばにミュンヘンへ移った。父に反抗して、劇評や文筆活動で自立するようになった。

高校生のころからすでに文章を書いて賞を得ており、1903年にミュンヘンの名門ヴィルヘルム・ギムナジウムで大学入学資格試験に合格した。その後ミュンヘンとベルリンの大学で歴史、哲学、ドイツ文献学を学び、1907年にハイネの未完の小説『バハラハのラビ』を扱った研究で博士号を得た。劇評家となり、1908年には文化雑誌『シュピーゲル』を創刊したが、半年後に別の雑誌と合併し、のちも寄稿を続けた。1912年にユダヤ人商人の娘マルタ・レフラーと結婚している。第一次世界大戦が始まると1914年11月に陸軍に入ったが、健康上の理由で早期に除隊し、この軍隊での経験が左派的な著作につながった。1916年にはヨーゼフ・ジュース・オッペンハイマーの物語に基づく戯曲を発表したが、満足せず、数年後に引き下げている。

1923年から1924年にかけて、若いベルトルト・ブレヒトの求めに応じ、『エドワード2世の生涯』の草稿作りで協力した。劇作で一定の成功を収めたのち、歴史小説へ軸足を移し、1921年から1922年に書いて1925年に発表した『ユダヤ人ジュース』で国際的な成功を収めた。この小説は1934年にイギリスで映画化され、1940年にはナチスが反ユダヤ主義に歪曲した同名の映画を作っている。次の成功作は1923年の『醜い公妃』である。1925年に仕事の都合でベルリンに移り、1932年にはグルーネヴァルトの大きな邸宅に住んだ。同年に、ヨセフスを主人公にした三部作の第1部『ユダヤ戦争』を刊行した。1930年には、ミュンヘン一揆に基づく最初の社会派の小説を書き、ナチズムの脅威への反応としたこの作品が、ナチズムの台頭を描く三部作の第1作となった。続けて1933年に『オッペルマン家の人々』を刊行し、これは最もよく知られる作品の1つになった。

早くから反ヒトラー、反ナチスの文筆を展開し、すでに1920年に発表した風刺的な文章で、ヘブライ語の書物が焼かれ、人々が迫害される場面を描いていた。そのため、1933年1月にヒトラーが首相に任命されると、政府主導の迫害の標的となった。フランスへ亡命し、一時は収容されたが、苦難の末にヨーロッパ大陸を脱出してアメリカに避難した。姉妹のうち2人は、ナチスの台頭後にパレスチナへ移り住んだ。アメリカでは反ファシズム運動を起こし、小説『ゴヤ』や『エフタとその娘』などを著した。晩年には真剣さと娯楽性を兼ね備えた作家と評価され、アメリカやソ連など、ドイツ国外に多くの読者を得た。1958年12月21日、ロサンゼルスで死去した。

1930年代には、ミュンヘンにあった親族の家の隣にヒトラーが住んでおり、その家の子で歴史学者となったエドガーは、子供の頃にヒトラーを見たことがあり、のちに著書にその時のことを記した。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物