HISTORICAL PERSON · 1957年没

ニコス・カザンザキス

ギリシャの小説家・詩人。異教徒の支配下から独立するギリシャ人の歴史を描き、代表作に『その男ゾルバ』『最後の誘惑』がある。

生涯
1957年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州 / フライブルク・イム・ブライスガウ)
出生地
ギリシャ共和国(イラクリオン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州)

伝記

ニコス・カザンザキスは、1883年2月18日にクレタ島北部のイラクリオ(カンジア)の農家に生まれたギリシャの小説家・詩人である。生まれたとき、クレタ島はまだオスマン帝国の支配下にあった。1897年にオスマン帝国に対するギリシャ人の叛乱が激化すると、一家は難を逃れてナクソス島に避難した。アテネ大学の法学部に学び、在学中から新聞社でコラムを担当し、1906年に優秀な成績で卒業して、同年に処女作『蛇と百合』を発表した。1907年には戯曲『夜明け』が上演され、その年にパリへ渡って、アンリ・ベルクソンのもとで哲学を学んだ。この留学の時期にニーチェの哲学に出会い、強い影響を受けた。1911年に学友のガラティア・アレクシウと結婚したが、1926年に離婚している。

1912年に第一次バルカン戦争が起こると志願兵として従軍した。1917年にはヨルゴス・ゾルバスという男と共同で鉱山業に手を出して失敗したが、この経験が『その男ゾルバ』のもとになったとされる。1919年にはギリシャ厚生省の局長として、カフカスや南ロシアにいる約15万人のポントス人を含むギリシャ人難民の帰還事業に取り組み、成功させた。1922年にウィーンで仏教を研究し、ドイツに移ると共産主義と出会った。第一次世界大戦後の荒廃したヨーロッパで、宗教に満たされないものを感じていた彼は、共産主義に希望を見いだそうとした。しかし1925年と1927年の二度ソビエトを訪れ、その現実を目にして、マルクス主義の限界に気づく。1927年はソビエト政府の賓客としての訪問で、同じく招かれていた秋田雨雀と同行したことが秋田の日記に記されている。この体験をもとに、1930年にフランス語で小説『トダ・ラバ』を書いた。旅を好み、1935年には日本と中国を訪れて、1938年に旅行記『日本・中国』を著している。

同じ1938年に、12年をかけた叙事詩『オディシーア』を発表した。第二次世界大戦でドイツがギリシャを占領していた1941年から1944年にかけては、エイナ島で『その男ゾルバ』などを執筆した。この小説は1964年にマイケル・カコヤニス監督により映画化されている。1945年にはソフリス内閣に無任所相として一時入閣し、エレニ・サミウと再婚した。1946年に代表作『その男ゾルバ』を発表し、ユネスコの古典翻訳部長を務めた。この年以降は、死去するまでギリシャに戻らなかった。1948年からはフランスのアンティーブに住み、『キリストは再び十字架につけられる』『最後の誘惑』などの後期の代表作を発表した。共産主義寄りの政治活動をしたことや、一人の人間として悩むイエス・キリストという斬新なキリスト像を描いたこと、ギリシャ正教会の否定的な側面を描いたことから、ギリシャ国内でも評価が分かれた。『最後の誘惑』はカトリック教会から禁書扱いを受けている。1945年にギリシャ作家連盟がノーベル文学賞の候補に推薦したが、政府の妨害で実現しなかったとされ、のちに1947年と1950年にはノミネートされたことが判明した。最晩年の1957年にはカミュに1票差で受賞を逃したと伝えられ、カミュは「カザンザキスのほうが100倍以上もふさわしかった」と述べたという。1957年10月26日、ドイツのフライブルクで亡くなり、遺体はクレタ島に埋葬された。墓碑には「何も欲せぬ。何も恐れぬ。我は自由なり」と刻まれている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物