伝記
ピオ・バローハ・イ・ネッシは、1872年12月28日にスペインのサン・セバスティアンで生まれた小説家で、医師でもあった。「98年世代」の作家であり、同世代のスペインを代表する小説家と見なされる。生家は裕福で、新聞や印刷の事業に縁の深い一族だった。同名の祖父は印刷業者で、サン・セバスティアンで新聞の発行を手伝い、ティエールの『フランス革命史』全12巻を刷っている。曽祖父は薬剤師でありながら、独立戦争の最中に布告や条例などを印刷して世に出した。
父ホセ・マウリシオ・セラフィン・バローハ・ソルノサは国に仕える鉱山技師で、自由主義的な考えをもつ落ち着かない性格の人物だった。ときにはジャーナリズムにも手を染め、その勤務のため一家はスペイン各地を転々とした。母アンドレア・ネッシ・ゴニはマドリードの生まれで、先祖はコモの町に由来するイタリアのロンバルディア系だった。作家の第2の姓はそこから来ている。母方のゴニ家は航海に縁があり、のちの海を舞台にした四部作に影響したとされる。姓の由来は、アラバ地方の同名の村にあるとされ、本人は回想録で、バスク語の「冷たい谷」や「冷たい川」を意味する語の変形ではないかと推測している。きょうだいでは3番目にあたり、兄ダリオは1894年に若くして結核で亡くなった。もう1人の兄リカルドは、のちに作家になり、銅版画家としても知られた。ずっと年下の妹カルメンも作家で、生涯にわたって兄の傍らにいた。その息子で甥のフリオ・カロ・バローハも人類学者として知られる。
生まれた家は、サン・セバスティアンのオケンド通りにある、父方の祖母が建てたものだった。カルロス派がこの町を包囲して砲撃した際には、一家は別の家へ移ったとされ、この包囲はウナムーノの小説『戦争の中の平和』にも描かれている。のちにマドリードで医学を修め、パン工場の経営と嘱託医の仕事に就いたが、ニーチェやショーペンハウアーの著作に影響されて文学に関心を深め、1896年頃には医師の道を捨てて小説家となった。主にマドリードやバスク地方を舞台に、行動的な人物が登場するピカレスク風の作品を書き、主著は3部作『生存競争』や『知恵の木』を含む作品群である。自作を9つの三部作と1つの四部作にまとめたが、共通の特徴を見いだしにくいものも多い。また、革命運動に身を捧げた冒険家を主人公とする歴史小説『ある行動人の回想』は、1913年から1935年にかけて書かれた全22巻に及ぶ連作で、これも主著とされる。戯曲も書いたが、小説に比べるとごく少ない。
作風は簡素で飾り気がなく、ヘミングウェイに大きな影響を与えたともいわれる。作品には悲観的な態度がしばしば現れ、個人主義が貫かれていた。政治的な考えは曖昧さを含み、若い頃には無政府主義に共感し、のちには第二共和政に反対して軍事独裁を擁護したが、反教権主義は生涯捨てなかった。反宗教的な考えや、不満を貫き通す頑なな姿勢のため、その小説が広い人気を得ることはなかった。1956年10月30日にマドリードで死去し、没後65年を経て、姪孫にあたるピオ・カロ=バローハが見つけた小説『運命の気まぐれ』が刊行されている。日本でも永田寛定や笠井鎮夫、前田明美らによって翻訳が出された。
同じ年に亡くなった人物
- ルートヴィヒ・クラーゲス (1956年没)
- コンスタンティン・フォン・ノイラート (1956年没)
- ヴァルター・ヴァルツェハ (1956年没)
- エドワード・アーノルド (1956年没)
- リオネル・ファイニンガー (1956年没)
同じ地域に関係する人物
- アルフレード・ランダ (2013年没)
- マリアナ・デ・アウストリア (1696年没)
- マヌエル・アリェンデサラサル (1923年没)
- ビセンテ・アレイクサンドレ (1984年没)
- ホセ・ミリャン・アストライ (1954年没)