伝記
ホセ・オルテガ・イ・ガセットは、1883年5月9日にマドリードで生まれたスペインの哲学者である。上流階級の家に生まれ、父ホセ・オルテガ・イ・ムニーリャは高名なジャーナリストで、母はドローレス・ガセットであった。母方の祖父が創刊した有力紙『エル・インパルシアル』を父が引き継いでおり、オルテガは教養とジャーナリズムと政治に近い環境で育った。のちには自身もこの新聞に多くの論説を寄せている。早熟で、7歳ですでにセルバンテスの『ドン・キホーテ』を暗唱できたという。マラガ近郊のイエズス会経営の学院などで学び、1898年、15歳でマドリード大学に入り、1902年に学士号、1904年に「紀元千年の恐怖」で哲学の博士号を得た。
1905年から1907年までドイツに留学し、ライプツィヒやベルリン、マールブルクでカント哲学を研究した。とくにマールブルク大学では、新カント派のヘルマン・コーエンやパウル・ナトルプから強い影響を受けた。ほかにフッサールの現象学やディルタイの哲学からも影響を受けている。帰国後の1910年にマドリード大学の形而上学の教授となり、同年、ロサ・スポトルノと結婚した。3人の子をもうけ、末の息子ホセはのちに新聞『エル・パイス』と出版社アリアンサの創設者となった。1914年に主著の一つ『ドン・キホーテをめぐる思索』を著し、1915年には週刊誌『エスパーニャ』の初代編集長を務めた。1917年からは日刊紙『エル・ソル』に協力し、『無脊椎のスペイン』と、のちに主著となる『大衆の反逆』(1929年)を連載の形で発表した。1923年には雑誌『西欧評論』を創刊して1936年まで編集に当たり、同誌を通じて海外の哲学・科学の主要な潮流の翻訳と紹介を進めた。
オルテガの思想は「生の理性」を中心に形成されている。個々人の限られた「生」を媒介して統合し、より普遍的なものへ高めていく理性のことである。思想を体系的に構築することは望まず、「明示的論証なき学問」と呼んだエッセイや新聞の論説、一般市民向けの公開講義で自説を表した。関心は形而上学にとどまらず、文明論や国家論、文学や美術にまで及んだ。『大衆の反逆』では、大衆を、欲求だけを持ち、自分には権利しかないと考え義務を思いもしない、みずからに義務を課す高貴さを欠いた人間と定義した。新たにエリートとして台頭した専門家層、とりわけ科学者を「近代の原始人」と激しく批判した。ボリシェヴィズムとファシズムはともに「野蛮状態への後退」として批判し、自由主義は理論的な真理ではなく「運命の真理」であるとして擁護した。
スペイン王制の崩壊を前に知識人の政治結社「共和国奉仕団」を結成し、1931年に第二共和政が成立すると制憲議会の議員として新憲法の制定まで活動した。1936年のスペイン内戦が勃発するとアルゼンチンのブエノスアイレスに亡命し、1942年にヨーロッパへ戻った。1945年の中頃までにポルトガルに定住し、1948年にマドリードへ帰還して人文科学研究所を設立し、そこで教えた。帰国時からフランコ政権には敵意を示し、1955年10月18日に没した。日本では保守主義者として受容され、西部邁らに影響を与えたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- ヨアヒム・ワッハ (1955年没)
- ウォレス・スティーヴンズ (1955年没)
- ウィリアム・オルスウェイン (1955年没)
- モーリス・ユトリロ (1955年没)
- ジョン・W・デイビス (1955年没)
同じ地域に関係する人物
- エクトル・リアル (1991年没)
- エクトル・ヌニェス (2011年没)
- マリー・ルイーズ・ドルレアン (1689年没)
- ラドミル・アンティッチ (2020年没)
- フアン・アントニオ・バルデム (2002年没)