HISTORICAL PERSON · 1955年没

ウォレス・スティーヴンズ

アメリカのモダニズム詩人。保険会社に勤めながら詩作を続け、詩集『秋のオーロラ』で全米図書賞、1955年にピューリッツァー賞を受賞した。

生涯
1955年没
死亡地
アメリカ合衆国(コネチカット州 / ハートフォード)
出生地
アメリカ合衆国(レディング)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(コネチカット州)

伝記

ウォレス・スティーヴンズは、1879年10月2日にペンシルベニア州レディングで生まれたアメリカ合衆国のモダニズム詩人である。裕福な法律家の父と教師の母の三人の子の二番目で、一家はルター派の家系だった。母方の曽祖父は宗教上の難民として1709年にサスケハナ川の流域へ入植したという。1897年から1900年までハーヴァードで学んだが、学位は取らなかった。在学中の1898年から1900年にかけて、学内の雑誌にはすでに詩を発表している。伝記作家ミルトン・ベイツによれば、ボストンに暮らしていた頃に哲学者ジョージ・サンタヤーナを紹介され、その著書『詩と宗教の解釈』に強く影響を受けた。

大学を出たあとはニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙で短く記者をつとめたが、兄弟たちにならって1903年にニューヨーク法律学校へ進み、翌1904年にニューヨーク州の弁護士資格を得た。同じ年、故郷レディングへ帰る旅の途中でエルジー・ヴァイオラ・カッチェルと知り合った。彼女は店員や婦人帽の職人、速記者として働いた若い女性で、長い交際ののち、1909年に結婚した。両親は彼女を教養が乏しく身分が低いとして反対し、家族は誰も式に出席せず、スティーヴンズは父が生きている間は二度と両親を訪ねも話しもしなかったという。1924年には娘ホリーが生まれた。のちにエルジーが心の病の兆候を示すと結婚生活は傷つき、夫婦は別居に近い状態になったが、離婚はしなかった。

1904年から1907年にかけてニューヨークのいくつかの法律事務所で働き、その後アメリカン・ボンディング社に法務担当として雇われた。1914年にはセントルイスのエクイタブル保証会社のニューヨーク事務所で副社長となり、1916年にコネティカット州ハートフォードへ移って、ハートフォード事故補償会社の法律顧問になった。実業と詩は相容れないとする考えを乗り越え、昼は弁護士兼実務家、余暇は詩人という暮らしを送り、1934年に同社の副社長に就いて、生涯その立場にあった。

詩作が本格化するのは三十代半ばを過ぎてからである。1914年には、戦争を主題とする雑誌「ポエトリー」の懸賞に、ピーター・パラソルという筆名で詩の連作を送った。入賞はしなかったが、のちに同誌に掲載された。最初の詩集『足踏みオルガン』は1923年に出て、1930年に改訂版が出た。第二の時期には『夏の移転』『青いギターの男』などを刊行した十一年間があたり、第三の時期は1950年代に出た『秋のオーロラ』で始まる。この作品で1951年に全米図書賞を受け、1955年にはその詩業でピューリッツァー賞の詩部門を受賞した。同年にはイェール大学から名誉学位も贈られている。

作風は穏健な詩体でありながら、古語や難語を多用し、独自の象徴的な語彙を用いた、難解で観念的な瞑想詩だった。同時代のエズラ・パウンドやT・S・エリオットに比べると、生前の評価は高くなかったとされる。日本でも池谷敏忠や鍵谷幸信らの訳で詩集が紹介され、研究書も出ている。死の前年には全詩集が刊行された。1955年8月2日、ハートフォードで世を去った。

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