伝記
メアリー・ド・ブーンは、イングランド王ヘンリー4世の最初の妻で、ヘンリー5世の母である。1368年ごろに生まれたとも、1369年か1370年ごろともされる。夫が即位する前に亡くなったため、王妃になることはなかった。父は第7代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーン、母は第10代アランデル伯リチャード・フィッツアランの娘ジョアンで、メアリーは3人姉妹の末娘だった。曾祖父の第4代ヘレフォード伯ハンフリー・ド・ブーンはスコットランド王位請求者の一人で、その妻エリザベス・オブ・リズランはエドワード1世の王女だった。
ブーン家には男子がおらず、姉エレノアとメアリーが父の広大な所領を受け継ぐ共同相続人となった。姉エレノアは、エドワード3世の末子でヘンリー4世の叔父にあたるグロスター公トマス・オブ・ウッドストックの妻となっていた。グロスター公は相続を独り占めしようとして、幼いメアリーを尼僧院に入れ、修道女にさせようとした。母ジョアンは幼い娘の身を案じて、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントに相談した。ランカスター公は、長男のヘンリー・ボリングブルックとメアリーを結婚させた。結婚は1381年2月5日に、エセックスのメアリーの実家ロッチフォード・ホールで行われたとされるが、1380年とする記述もあり、場所や日付には不確かな点がある。ヘンリーは妻の権利によって、ノーサンプトン伯とヘレフォード伯を称した。
1386年9月16日、ウェールズにある夫の所領のモンマス城で、最初の子であるのちのヘンリー5世を産んだ。2人目の子トマスは、1387年11月25日の少し前にロンドンで生まれたとみられる。夫妻には6人の子が生まれ、のちにそれぞれ、クラレンス公トマス、ベッドフォード公ジョン、グロスター公ハンフリーとなった息子たちのほか、1392年生まれのブランシュ、1394年生まれのフィリッパがいる。ブランシュはプファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世、フィリッパはデンマーク・スウェーデン・ノルウェーの王エーリク7世と結婚した。
メアリーは1394年、最後の娘フィリッパを産む際に、ピーターバラ城で亡くなった。26歳だった。亡くなったのは6月4日とされるが、7月4日とする記述もある。遺体は7月6日に、レスターのニューアーク聖母受胎告知大学教会に葬られた。この年には、ゴーントの2番目の妻コンスタンサ・オブ・カスティリャと、リチャード2世の妻アン・オブ・ボヘミアも亡くなっている。夫のヘンリーは5年後の1399年にヘンリー4世として即位し、1403年に再婚したジョーン・オブ・ナヴァールが王妃となった。
同じ年に亡くなった人物
- コンスタンス・オブ・カスティル (1394年没)
- Fazlallah Astarabadi (1394年)
- イブン・ラジャブ (1394年(推定))
- クレメンス7世 (対立教皇) (1394年没)
- ジョン・ホークウッド (1394年没)
同じ地域に関係する人物
- Gordon Thomas (2013年没)
- アーチー・ロバートソン (1957年没)
- ロニー・ドネガン (2002年没)