伝記
フィリッパ・オブ・クラレンスは、1355年8月16日に生まれ、1382年1月5日に没した、第5代アルスター女伯である。イングランド王エドワード3世の三男であるクラレンス公ライオネル・オブ・アントワープと、第4代アルスター女伯エリザベス・ド・バラの一人娘として、ケントのエルサム宮殿に生まれた。父は、エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーの息子で、幼少期を生き延びた2番目の王子であった。母方の祖父母は、第3代アルスター伯ウィリアム・ド・バラとモード・オブ・ランカスターである。母の跡を継いで、自らの権利でアルスター女伯となった。
1368年5月、フィリッパは12歳か13歳で、レディング修道院の王妃の礼拝堂において、第3代マーチ伯エドマンド・モーティマーと結婚した。夫は第2代マーチ伯ロジャー・モーティマーの子で、16歳であった。この結婚は、のちにイングランドの歴史に遠大な結果をもたらす縁組となった。従弟のリチャード2世には子がなかったため、リチャードが廃位されるまで、フィリッパとその子孫が次の王統にあたるとされたのである。フィリッパは1382年にアイルランドのコークで世を去った。26歳であり、死因はおそらく熱病とされる。はじめコークに葬られ、のちにイングランドのウィグモア修道院に改葬された。
夫妻には4人の子がいた。1371年生まれの長女エリザベスは、ヘンリー・パーシーと、のちにトマス・ド・カモイズと結婚した。1374年生まれの長男ロジャーは、父の跡を継いでマーチ伯とアルスター伯になり、母の死後に王位の推定相続人となった。彼は1398年に没し、妻エレノア・ホランドとのあいだに4人の子があり、その一人アンは、のちにエドワード4世とリチャード3世の祖母となった。1375年生まれの次女フィリッパは3度結婚し、1376年生まれの次男エドマンドは、オウェイン・グリンドゥールに対する戦いに加わって捕らえられ、のちにその娘と結婚した。ほかに騎士のジョン・モーティマーもいた。
のちにリチャード2世が退位すると、本来の継承者は、ロジャーの子でフィリッパの孫にあたる幼いエドマンドであったが、王位はもう一人の従弟、ヘンリー・オブ・ボリングブルックに奪われ、これが薔薇戦争の遠因となったとされる。ヨーク家の王位請求者たちは、フィリッパや息子ロジャー、孫娘アン・モーティマーを通じてエドワード3世の子孫であることを根拠にした。フィリッパの4代後の子孫にエドワード4世とリチャード3世がいる。
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