HISTORICAL PERSON · 1952年没

ジョージ・サンタヤーナ

スペイン出身のアメリカの哲学者・詩人。ハーバード大学で哲学の教授を務め、ヘーゲル的観念論の立場から哲学や美学の著作を発表した。晩年はイタリアで過ごした。

生涯
1952年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
スペイン王国(San Bernardo street)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

ジョージ・サンタヤーナは、1863年12月16日、スペインのマドリードで生まれた。本名はホルヘ・アグスティン・ニコラス・ルイス・デ・サンタヤーナ・イ・ボラスである。父アグスティンはスペインの外交官で、母ホセフィーナはスコットランド生まれのスペイン外交官の娘だった。母は最初にボストンの商人ジョン・スタージスと結婚して5人の子をもうけ(生き残ったのは3人)、1857年に死別したのち、1861年にアグスティンと再婚して彼を産んだ。最初の8年間は父の住むアビラで過ごしたが、母は1869年から先夫への約束どおり他の子らを育てるためボストンに住んでいた。1872年、父は息子の将来はボストンのほうが開けると考えて同行したが、気候とピューリタン的な雰囲気になじめず、まもなくスペインに戻り、息子だけが母のもとに残った。父子は多くの手紙を交わした。ボストンの家では家庭内の言葉はスペイン語で、英語は幼稚園で覚えたという。署名を「アメリカ風」にするため、名ホルヘをジョージと改めたのも本人である。

ボストン・ラテン・スクールからハーバード大学(1882〜1889年)に進み、学生時代は風刺雑誌の漫画家や文芸誌『ハーバード・マンスリー』の創刊メンバーとして活発に動いた。1886年秋にドイツへ渡り、ベルリン大学で2学期哲学を学んだが、ドイツの大学の雰囲気になじめず、ハーバードに戻って博士課程を終え、1889年にロッツェに関する論文で博士号を得た。まもなくハーバードの教壇に立ち、学生に慕われる教師として、ウィリアム・ジェームズやロイスらとともにアメリカ古典哲学の主要な人物の一人となった。1893年には、教え子の死、父の死、妹スサーナの結婚という三つの出来事が重なって、人生を見る視点が変わる経験をしたという。この頃から文学、美学、哲学に打ち込み、『美の感覚』(1896年)、『理性の生活』(1905〜06年、全5巻)、『三人の哲学詩人』(1910年)などを著した。1907年にはハーバードの哲学教授となったとされる。

1912年、48歳でハーバードを去った。学長は引き留めたが、若くして引退したいと1893年から考えていたこと、大学の諮問機関で偽の問題の解決に時間を割くのを好まなかったこと、著書がよく売れて将来を安心して見られたことなどが理由とされる。母が死の床にあると知ると、異母妹ジョゼフィーナがアビラの異母妹スサーナのもとへ行けるよう手配し、財産の管理は兄弟のロバートに任せた。以後はヨーロッパに住み、二度とアメリカには戻らなかった。1929年にはハーバードからノートン詩学講座の招きを受けたが、オックスフォードやケンブリッジからの職の申し出も含め、大学の地位はすべて断った。1912年から第一次世界大戦の終わりまでは、ロンドン、オックスフォード、ケンブリッジとイギリスで暮らした。のちに『懐疑主義と動物的信』(1923年)、『存在の領域』(1927〜40年、全4巻)、小説『最後のピューリタン』(1935年)を著し、自伝『人と場所』も残した。晩年はイタリアで過ごし、1952年9月26日、ローマで没した。

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