伝記
ゲルハルトは、ラーヴェンスベルク伯として1346年から1360年まで、ベルク伯として1348年から1360年まで在位した人物である。ユーリヒ家の出で、ユーリヒ公ヴィルヘルム1世とジャンヌ・ド・エノーの長男にあたり、生年は1321年ごろとも1325年ごろともいわれる。父の共同統治者として、ユーリヒの共同公の地位にもあった。
1333年に、ヘルレ伯レイナルト2世の娘マルガレーテと婚約し、1342年にこの婚約は更新された。しかし結婚は実現しなかった。1343年のレイナルトの死か、1344年のマルガレーテの死が理由とみられる。その後、ゲルハルトはラーヴェンスベルク=ベルクの女子相続人マルガレーテと結婚した。結婚の年は1338年とも、1344年ごろともいわれる。このマルガレーテの父オットー4世は男子を残さずに1328年に死に、ラーヴェンスベルク伯領は弟のベルンハルトに移っていた。姉のヘートヴィヒは1336年にすでに世を去っていた。1346年にベルンハルトが子のないまま死ぬと、マルガレーテが相続人となり、ゲルハルトはラーヴェンスベルクの支配権を握った。1348年には妻の母方の伯父アドルフが子なく死んで、ベルク伯領の支配権も得た。こうしてラーヴェンスベルクとベルクはユーリヒ家のものとなり、1511年にクレーフェ家へ移るまで同家にあった。
ゲルハルトは、いくつかの保護同盟を結んだが効果は薄く、ケルン大司教とも対立した。一方で領土を買い増した。1355年にはネヴィゲス、ランゲンベルクとともにハルデンベルク領を加え、1358年にはカイザースヴェルトの町と税関を手に入れた。1359年には、騎士ハインリヒ・オフテから、十分の一税と布教保護権を含むゾーリンゲンの諸権利を得た。ゲルハルトの在位中から、ベルクとユーリヒの間には活発な経済交流を含む緊密な関係が築かれていた。
ゲルハルトは1360年5月18日、シュライデン近郊でアルノルト・フォン・ブランケンハイムとの戦いで受けた致命傷により死んだ。デュッセルドルフでの馬上槍試合で死んだともいわれ、アルテンベルク大聖堂に葬られた。父はその翌年に死に、ユーリヒ公位は弟が継いだ。子のヴィルヘルムは母方の領地であるベルクとラーヴェンスベルクを受け継いだ。子には、ヴァルデック伯ハインリヒ6世と結婚した長女エリーザベト、のちにベルク公となるヴィルヘルム、マルク伯アドルフ3世と結婚したマルガレーテがいる。孫のアドルフが15世紀にユーリヒ公領を本流から受け継いだことで、ユーリヒ=ベルク=ラーヴェンスベルク連合領が生まれた。
同じ年に亡くなった人物
- クルナ (ジョチ家) (1360年没)
- ジャンヌ1世 (オーヴェルニュ女伯) (1360年没)
- ルドヴィーコ1世・ゴンザーガ (1360年没)
- ニケフォロス・グレゴラス (1360年)
- ダヴィト9世 (ジョージア王) (1360年)
同じ地域に関係する人物
- ピーター・コリンズ (1958年没)
- ハインリヒ6世 (ルクセンブルク伯) (1288年没)
- オスヴァルト・マティアス・ウンガース (2007年没)
- リヒャルト・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク (2017年没)
- エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680) (1680年没)