伝記
ジョルジュ・ベルナノスは1888年2月20日、パリに生まれた二十世紀フランスの作家・思想家である。父はロレーヌとスペインにつながる家系の室内装飾職人で、母はベリー地方の農民の家の出だった。幼少期から青年期にかけては、北フランスのパ=ド=カレー県にあるフレッサンという小さな村で主に過ごし、この土地は後に彼の小説の多くの舞台となった。パリでイエズス会の学校に入ったが、よい思い出は残らなかったという。その後ブールジュの神学校やエール=シュル=ラ=リスのコレージュで学び、1906年に大学入学資格を得てパリへ戻った。十三歳のころバルザックを読み、のちにこれを青年期で最も強い発見だったと語っている。
青年期のベルナノスは熱心なカトリックで、王党派の信奉者でもあった。十代からアクション・フランセーズに加わり、1908年にはその行動隊であるカムロ・デュ・ロワに入ってその首領格となった。昼は共和派の集会を妨害して警官隊と衝突し、夜は果てしない議論に没頭する日々で、その活動によりサンテ刑務所に収監された。獄中で書評や論文を書いて新聞に投稿し始め、1913年からは王党派の新聞に本格的に論説を載せた。1914年に第一次世界大戦が始まると志願して戦地へ赴き、戦後は生活のために保険会社の調査員となって、パリやムーズ県に居を構え、出張先で小説を書き継いだ。若い頃に影響を受けたエドゥアール・ドリュモンを論じた1931年の『善意の人々の大恐怖』のような政治的な著作も、この時期に出している。
1922年から小説を発表し、1926年の『悪魔の陽の下で』で大きな反響を呼んだ。文筆で生計を立てる決意を固め、1929年には『よろこび』でフェミナ賞を受け、1936年の『田舎司祭の日記』はアカデミー・フランセーズ小説大賞を得て、各国語に訳されるほどの評判となった。作品では、魂の救いを求める司祭や、『新ムーシェット物語』の少女のように悲劇的な運命をたどる人物を通して、善と悪をめぐる霊的な闘いを描いた。
スペイン内戦は転機となった。1936年から翌年に書いた『月下の大墓地』で、自分が属していたフランスの右翼やカトリック教会の態度を批判し、以後は論争文や政治的エッセイに集中して、小説はほとんど書けなくなった。第一次世界大戦で負った脚の傷のために、第二次世界大戦には望むようには加われなかったともいう。1938年にフランスを離れてブラジルに渡り、パリがドイツに占領された1940年にはバルバセーナ近郊に農場を買って農業と牧畜を始めた。同時にド・ゴールの自由フランスの呼びかけに応じ、ブラジルの新聞や抵抗組織を通じて、ロンドン、ベイルート、アルジェリアなどの地下新聞に檄文を寄せ、リオ・デ・ジャネイロの放送でも故国のレジスタンスに幾度も呼びかけた。二人の息子と甥も自由フランスに加わっている。
1945年のフランス解放後に帰国したが、1948年3月から病床につき、7月5日に世を去った。若い頃に抱いた王党派や反ユダヤ的な考えからは次第に離れ、フランコ体制やファシズム、全体主義と闘った作家として、のちにシュテファン・ツヴァイクをはじめ多くの人々から評価されている。戯曲『カルメル会修道女の対話』は没後の1949年に刊行された。
同じ年に亡くなった人物
- ムハンマド・アル=ヌクラシ・パシャ (1948年没)
- ムハンマド・アリー・ジンナー (1948年没)
- ジェームズ・ヤング (1948年没)
- カール・ブラント (1948年没)
- ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード (1948年没)
同じ地域に関係する人物
- テオフィル・ゴーティエ (1872年没)
- ロッテ・アイスナー (1983年没)
- カジミェシュ・ブランディス (2000年没)
- エマニュエル・ドゥ・マルトンヌ (1955年没)
- ジャック・クレマン (1589年没)