伝記
アレイスター・クロウリーは1875年、イングランドのウォリックシャー州にあるロイヤル・レミントン・スパに生まれた。出生時の名はエドワード・アレクサンダー・クロウリーだった。父エドワードはビール醸造業の家に生まれた技術者で、のちに伝道師として活動した。もとはクエーカー教徒として生まれたが、プリマス・ブレザレンに改宗していた。両親は厳格なキリスト教の一派に属し、父は毎日、家族に聖書を読み聞かせた。クロウリーは父を敬愛した一方、母とは緊張した関係にあり、母が自分を「獣のようだ」と非難したことから、聖書の黙示録に登場する獣の番号「666」を自らの象徴として使うようになった。
八歳で寄宿学校に入り、その後も複数の学校で学んだ。厳しい宗教教育や学校での扱いに反発し、十代になる頃にはキリスト教への嫌悪を強めた。1887年に父が舌癌で亡くなると、親族のもとに移された。父の遺産の三分の一を相続したが、学校で厳しい罰を受け、アルブミン尿症を発症して退学した。その後は家庭教師のもとで学び、化学の授業を受けた。父の死を大きな転機として語り、キリスト教から離れていったが、後年の回想には自身を「大いなる獣」と結びつける誇張も含まれていた可能性が指摘されている。少年期から詩やチェス、登山に関心を持ち、1894年にスコットランドの登山クラブに加わって各地で登った。十九歳までには「アレイスター」と名乗るようになった。
1895年、ケンブリッジ大学に入学した。講義への出席は少なく、英文学や古典を読み、詩作と登山に熱中した。1896年12月にはストックホルムでの休暇中に最初の重要な神秘体験をしたという。父の遺産を受け継ぎ、旅や詩集の出版に使える資金を得た。外交官を志した時期もあったが、1897年の病気を経て、死や人生の意味を考えるようになり、オカルト研究へ向かった。成績は良かったものの、学位を取らずに大学を離れた。1898年には詩集を刊行し、登山や詩作と並行して秘教的な教えを探究した。同年に書いた岩登りの手引書は、世界最古の案内書の一つとされる。
クロウリーは一時、黄金の夜明け団に所属し、その知識や儀式を許可なく公表して注目を集めた。のちに魔術教団「銀の星」と東方テンプル騎士団を率い、「マジック」と呼ぶ魔術について著作を重ねた。薬物を使う魔術や性魔術も研究し、性魔術を通じてインドのタントラに接近したとされる。妻を通じて啓示を得たとし、新しい時代の預言者を自認して、セレマと呼ぶ宗教運動を広めた。哲学、文化、政治に関する文章も書き、社会批評を行った。「現存する最も邪悪な男」として知られることを望み、派手な演出でマスコミに登場して、自ら「大いなる獣」と名乗った。私生活や儀式をめぐって世間の論争を呼び、両性愛者であることも公にしていた。
登山家としては1902年にカラコルム山脈のK2に挑戦した最初の西洋人として知られ、カンチェンジュンガへの挑戦も主導した。スコットランドやアルプス、アメリカ、メキシコでも登山し、山行の記録や案内書を残した。生前の信奉者は限られていたが、死後は若者文化やロック音楽などを通じて知られるようになった。クロウリーは1947年12月1日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
- イワン・レーゲン (1947年没)
- ピョートル・ウスペンスキー (1947年没)
- イングバル・ブリン (1947年没)
- クルト・レヴィン (1947年没)
- マリーア・クリスティーナ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ (1877-1947) (1947年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョン・コーンフォース (2013年没)
- ヴァージニア・ウルフ (1941年没)
- ベラ・タナー (1971年没)
- デイヴィッド・マクスウェル・ファイフ (初代キルミュア伯爵) (1967年没)
- Les Leston (2012年没)