伝記
ベアトリクス・フォン・ルクセンブルクは、1305年に生まれ、ハンガリー王カーロイ1世の王妃となったルクセンブルク家の女性である。神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世と妃マルガレーテ・フォン・ブラバントの末娘で、兄にボヘミア王ヨハン、姉にフランス王シャルル4世の王妃となるマリーがいる。のちに皇帝兼ボヘミア王となるカール4世の叔母にあたる。
母のマルガレーテは1311年に亡くなっていた。1313年に父の皇帝が没したころ、皇帝はベアトリクスとナポリ王ロベルトの子で後継者のカラブリア公カルロとの縁組を進めており、自身もハプスブルク家のカタリーナとの再婚を考えていた。ベアトリクスは父に呼ばれてイタリアに行き、父方の祖母ベアトリクス・ダヴェーヌに付き添われて到着した。カラブリア公との縁談はまとまらず、皇帝はシチリア王フェデリーコ3世の長男ピエトロとの縁談を進めはじめたが、帝国とシチリア王国の政治的な対立が続いていたため、これも実らなかった。
1317年、カーロイ1世は最初の王妃マーリアと死別した。マーリアとの間には2人の娘がいた。再婚を決めた王は、トマーシュ・セーチェーニとシモン・カチチの2人の使者をボヘミアに送り、花嫁を探させた。ボヘミア王ヨハンは2人の妹を宮廷に呼び戻した。このとき姉のマリーはマリエンタール修道院にいて、ベアトリクスはイタリアにいた。2人の王女は1318年6月20日にプラハに着き、3日後にズブラスラフ修道院でハンガリーの使者と会った。ここでボヘミア王は、使者たちに未来の王妃を選ばせた。使者たちは知性と容姿の両面を検討したうえで、ベアトリクスを選んだ。まもなく正式な婚約が結ばれ、花嫁はハンガリーの随行団とともに新しい国へ向かった。ハンガリー王国の国境では、カーロイ1世の使者に公式に迎えられた。
ベアトリクスはカーロイ1世の2番目の王妃となり、1318年の結婚式はマルティヌスの祝日の8日目、すなわち11月12日から17日の間に行われて、その場でハンガリー王妃として戴冠した。翌1319年、ベアトリクスは身ごもり、11月に出産のなかで死去した。生まれた子も死産だった。遺体はナジヴァーラドの大聖堂に葬られた。翌1320年にカーロイ1世は3番目の妃エルジェーベトを迎え、彼女との間にラヨシュ1世ら5人の男子をもうけた。のちにカール4世の子のうち、マルガレーテがラヨシュ1世の王妃になり、ジギスムントがラヨシュの娘マーリア女王と結婚して、自身もハンガリー王となっている。
同じ年に亡くなった人物
- ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ (1319年)
- カマール・アッディーン・アル=ファーリスィー (1319年)
- ヴァルデマール (ブランデンブルク辺境伯) (1319年)
- インゲボリ・マグヌスドッテル・アヴ・スヴェーリエ (1319年没)
- エーリク6世 (デンマーク王) (1319年没)
同じ地域に関係する人物
- Vasile Deheleanu (2003年没)
- アレクサンダル・カラジョルジェヴィッチ (セルビア公) (1885年没)
- Gratian Sepi (1977年没)
- ドージャ・ジェルジ (1514年没)
- アダウベルト・デス (1937年没)