伝記
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャは、1255年から1260年頃にシエナで生まれ、1319年頃(1318年から1319年頃ともされる)に没したイタリアの画家である。13世紀末から14世紀初頭にかけてシエナで活動した。様式はビザンティン絵画を基盤としながら、人間の描写や空間のとらえ方に現実感を加えており、チマブーエ、ジョットとともに、ゴシックとルネサンスの橋渡しをした西洋絵画史上重要な画家の一人とされる。
イタリア中部の都市シエナは、独特の絵画の伝統をもち、シモーネ・マルティーニら多くの巨匠を生んだ。ドゥッチョはそのシエナ派の祖と見なされる。国際ゴシック様式の形成にも関わったとされ、影響を受けた画家には、シモーネ・マルティーニ、ピエトロとアンブロージョのロレンツェッティ兄弟などがいる。生年ははっきりしないが、その推定は、活動が最初に記録された年から導かれている。1278年、シエナ市政府のために、文書を納める箱や収税帳簿の表紙の装飾を手がけたことが記録に残っているのである。修業については、それ以前の記録がなく詳しいことは分からない。チマブーエに学んだ可能性も、シエナの工房で育てられた可能性もある。アッシジのサン・フランチェスコ聖堂の大事業にはおそらく加わらなかったが、その壁画は知っていたと考えられる。ゴシックの要素から、1280年から1285年頃にフランスへ旅したとも考えられたが、実際には輸入された彩色写本などを通じて、フランスの美術に触れたにすぎないとみられる。
現存する最初期の作品は、トリノのサバウダ美術館にある「グアリーノの聖母」で、1280年から1283年頃の作とされる。チマブーエに近い様式で、長くチマブーエの作とされてきた。のちのシエナ大聖堂付属美術館の「クレヴォレの聖母」(1283年から1284年頃)では、聖母の顔がより柔らかく洗練され、幼子が母に愛情のこもったしぐさを見せるなど、チマブーエとの隔たりが大きくなる。この時期に、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のバルディ礼拝堂にも、傷みの激しい乾式の壁画を描いたとされる。1285年の『ルチェライの聖母』と通称される『聖母子と六天使』は、フィレンツェの信心会ラウダージの依頼による最初の大きな注文で、ウフィツィ美術館に収められている。これもまた、長らくチマブーエの作とされていた。ほかに1300年頃の『フランシスコ会修道士の聖母』や、1305年頃の多翼祭壇画などがある。
代表作は、シエナ大聖堂のために制作された『マエスタ(荘厳の聖母)』(1308年から1311年)である。完成時には、シエナの市民たちが、縦370センチ、横450センチのこの巨大な絵をかついで、ドゥッチョの工房から大聖堂へ運んだという。横長の画面に、玉座の聖母子と諸聖人、天使を表している。金地の背景や、聖母を他の人物より一段大きく表す点はビザンティン風だが、人物の人間的な表情やしぐさ、衣のひだの自然な描写には、ルネサンスへの歩みが感じられる。裏面にはキリストの受難の場面が描かれ、頂部のピナクルや裾絵のプレデッラにもさまざまな場面があったが、これらは分割され、一部は他の美術館の所蔵となった。シエナ大聖堂のステンドグラスの図案も、ドゥッチョによるものとされる。
2004年11月、ニューヨークのメトロポリタン美術館が、1300年頃の作とされる板絵『聖母子』を4,500万ドル以上で購入した。同美術館の一作品の購入額としては最高記録だった。ところがコロンビア大学の研究者は、様式の面から、この絵を19世紀の偽作とみている。
同じ年に亡くなった人物
- 管道昇 (1319年没)
- ホーコン5世 (ノルウェー王) (1319年没)
- エーリク6世 (デンマーク王) (1319年没)
- ヴァルデマール (ブランデンブルク辺境伯) (1319年)
- カマール・アッディーン・アル=ファーリスィー (1319年)
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