伝記
ロベール・ド・クレルモンは、1256年ごろに生まれたフランスの王族で、クレルモン伯、のちのブルボン家の祖となった人物である。父はフランス王ルイ9世(聖ルイ)、母は王妃マルグリット・ド・プロヴァンスで、六男の末っ子だった。兄にのちのフィリップ3世がいる。父がロベールの代父に選んだのは、そのころドミニコ会の総長を務めていたアンベール・ド・ロマンだった。1268年に父から領地としてボーヴェジのクレルモン伯領を与えられ、クレルモン伯となった。
1272年、ロベールはブルゴーニュ公の次男ジャン・ド・ブルゴーニュの一人娘で、ブルボン家の相続人であるベアトリスと結婚した。ベアトリスの母アニェス・ド・ブルボンは、ブルボン家の第二の家系の相続人だった。この結婚によってロベールはフランス中部ブルボネーの所領を得た。1279年、兄フィリップ3世に騎士に叙せられた初めての馬上試合で、頭に戦棍の一撃を受け、これが元で一生のあいだ心を病んだとされる。1282年には、再婚した義母アニェス・ド・ブルボンが、すでに婿に譲った財産の一部を取り戻そうとして裁判になり、ロベールはこれに勝った。翌1283年にはブルボン領主と認められ、のちにフランスなどの王位を得ることになる第三のブルボン家を興した。領地ではムーランに聖ジャック施療院を建てさせたが、1793年に取り壊された。
それでも症状が和らぐ時期はあったようで、甥のフィリップ4世(美男王)は彼に外交上の任務をいくつか任せた。ロベールは息子ルイとともに神聖ローマ皇帝との条約の交渉にあたっている。王の評議会の一員にもなったが、心の病のため、実際には何の役割も果たさなかっただろうといわれる。1316年、王の死後の摂政の座をめぐり、ロベールは甥の子にあたるポワティエ伯フィリップの側に回って、最後に政治の舞台に現れた。翌1317年2月7日に亡くなり、パリのジャコバン修道院の教会に葬られた。教会は今は残っていない。
ベアトリスとの間には3男3女が生まれた。長男ルイ1世は初代ブルボン公となり、ジャンはシャロレー領主となった。ピエールはパリの助祭長、マリーは修道女になり、ブランシュはオーヴェルニュ伯ロベール7世に嫁いだ。マルグリットは1305年にナポリ王カルロ2世の子ライモンド・ベレンガリオと結婚し、1308年にナミュール侯ジャン1世と再婚して、1309年に世を去った。
ロベールは生前、重要な役割を果たすことはなかったが、ブルボン家の祖として王家の系譜では重要な位置を占める。1589年、兄フィリップ3世の男系の子孫が絶えたとき、ロベールから数えて9代目の子孫アンリ4世がフランス王位についた。ロベールは、モーリス・ドリュオンの歴史小説『呪われた王たち』にも脇役として登場し、1972年と2005年のドラマ化で俳優が演じている。
同じ年に亡くなった人物
- Agnes of Montepulciano (1317年)
- ヴィオランテ・ディ・モンフェラート (1317年没)
- ヨハン5世 (ブランデンブルク辺境伯) (1317年)
- ジャン・ド・ジョアンヴィル (1317年没)
- マリア・ビトムスカ (1317年没)
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