HISTORICAL PERSON · 紀元前1没

アリアラテス8世

カッパドキア王で、紀元前101年から96年頃と紀元前95年に在位した。貴族の反乱で即位したが、ミトリダテス6世にすぐ追われ、まもなく病没した。

生涯
紀元前1没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アリアラテス8世エピファネスは、カッパドキア王である。在位は紀元前101年ごろから紀元前96年ごろまでと紀元前95年とされる。アリアラテス6世と妃ラオディケの次男で、姉にニュサ、兄にアリアラテス7世がいた。母ラオディケはポントス王ミトリダテス6世の姉妹にあたり、アリアラテス8世にとってミトリダテス6世は母方の叔父だった。

父アリアラテス6世は、ミトリダテス6世の意を受けたゴルディオスによって殺害されたとされる。ミトリダテスは妹とその子らからカッパドキアを奪おうと考えた。そのころビテュニア王ニコメデス3世がカッパドキアを占領したが、ミトリダテスは妹と甥たちを助けるふりをしてニコメデスを追い払った。ところがラオディケがすでにニコメデスと取り決めを結んでいたため、ミトリダテスは怒り、ビテュニアの守備隊を国から排除して、ラオディケの子を王位に据えた。これが兄のアリアラテス7世である。

数か月後、ミトリダテスは父の殺害者ゴルディオスをカッパドキアへ戻そうとした。若い王アリアラテス7世はこれに憤慨し、軍を集めて叔父に立ち向かった。ミトリダテスは甥を和平の会談に呼び出し、隠し持った武器で殺害したと伝えられる。こうして兄は命を落とした。ミトリダテスは、わずか8歳の自分の息子をアリアラテス9世としてカッパドキアの王位に就け、ゴルディオスをその後見役とした。

これに対してカッパドキアの貴族たちが反乱を起こし、ラオディケとアリアラテス6世のもう一人の息子であるアリアラテス8世を呼んで王位に就けた。しかしアリアラテス8世は、ミトリダテス6世によってたちまち国から追い出され、その後ほどなく自然死した。亡命先で、不安から生じた病のために死んだともいわれる。父の二人の息子がともに世を去ったことで、カッパドキアの王家は絶えた。アリアラテス1世の子孫であるアリアラテス朝の最後の王とされる。

その後の経緯はこうである。ビテュニアのニコメデス3世は、ミトリダテスがカッパドキアを併合し、次にビテュニアを狙うことを恐れ、容姿の美しい少年を、アリアラテス6世とラオディケの三男だと偽って仕立て、ローマへ使節を送った。ミトリダテスも、自分が王位に就けた子はアリアラテス5世の子孫だと主張する使節を送った。ローマの元老院は両者の野心を見抜き、どちらにも王国を与えず、カッパドキアの人々に自由を認めた。紀元前95年にはアリアラテス9世を退位させるよう命じた。ポントスによる短い直接支配と、アリアラテス8世のごく短い復位を経て、元老院はカッパドキアに共和政を試みさせたが、人々が王を望んだため、望む者を選ばせた。選ばれたのはアリオバルザネス1世だった。

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