伝記
アルタクシアス2世は、アルメニア王国のアルタクシアス朝に属する王子で、紀元前34年または前30年から前20年までアルメニア王を務めた人物である。アルタシェスとも呼ばれる。紀元前60年代に生まれたとされ、紀元前20年に没した。父はアルメニア王アルタウァスデス2世の長男で、母の名は伝わらない。祖先のアルタクシアス1世と同じ名を持つ。弟にのちのティグラネス3世がおり、名の知られない妹はカッパドキア王アルケラオスに嫁いだ可能性があるという。アルメニアで生まれ育った。
紀元前34年、ローマの三頭政治家マルクス・アントニウスはパルティアとの戦いに敗れた責任を問うて父を逮捕し、一家をエジプトのアレクサンドリアへ連行した。父は紀元前30年にクレオパトラ7世の命で処刑されたとされる。長男のアルタクシアスはこのとき逃れ、パルティア王プラアテス4世のもとに身を寄せた。憤ったアルメニアの人々は一度この王子を王に立てたが、アルメニアを押さえたアントニウスが彼をパルティアへ追い、自分の息子アレクサンドロス・ヘリオスを王位に据えたとも伝わる。
紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウスが敗れると、ローマはアルメニアから手を引いた。パルティアの支援を受けたアルタクシアスは、名目上の王であったアレクサンドロス・ヘリオスの統治を終わらせ、紀元前30年に失われていた王位を取り戻した。このためパルティア寄りで反ローマの王となった。パルティア王の支援を得てメディア・アトロパテネ王アルタウァスデス1世に対する遠征にも成功した。アルタウァスデス1世は父の旧敵であった。
アルタクシアスは執念深く、残忍だったといわれる。国内に残っていたローマの守備隊を虐殺し、ローマ商人も皆殺しにしたとされる。その結果かもしれないが、ローマで捕らわれていた家族の解放を求めて使節を送ったとき、アウグストゥスはこれを拒んだ。
国民の間でも人気がなかった。アルメニア人は王への信頼を失い、アウグストゥスに使者を送って、アルタクシアスを退けて弟のティグラネス3世を後継者に立てるよう求めた。ティグラネス3世はこのとき10年間ローマで暮らしていた。アウグストゥスはこの求めを受け入れ、継子のティベリウスに、ティグラネス3世と大軍を付けて派遣した。しかしティベリウスらが到着する前に、宮廷内の一派がアルタクシアスを殺害した。ローマはティグラネス3世を新王に据え、抵抗はなかった。アウグストゥスは『神君アウグストゥスの業績録』で、アルメニアを属州として吸収せず、ティグラネスを王に立てたと記している。
同じ年に亡くなった人物
- アルタヴァスデス1世 (紀元前19)
- Mithridates II of Commagene (紀元前19)
- ウェルギリウス (紀元前19年没)
- アルビウス・ティブッルス (紀元前19年没)
- シケリアのディオドロス (紀元前 19年)
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