HISTORICAL PERSON · 1942年没

ロバート・ボッシュ

ドイツの発明家で、世界的な自動車部品メーカー、ロバート・ボッシュの創立者。ウルム郊外の裕福な農場・旅館経営の家に12人兄弟の11番目として生まれた。

生涯
1942年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州 / シュトゥットガルト)
出生地
ドイツ連邦共和国(Albeck)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州)

伝記

ロバート・ボッシュは、1861年9月23日に生まれ、1942年3月12日に没したドイツの発明家、実業家である。世界的な自動車部品メーカー、ロバート・ボッシュ社の創立者である。名前の「ロバート」は英語表記で、ドイツ語の発音ではロベルトまたはロベアトのほうが正確だが、日本では「ロバート」が一般的である。

ヴュルテンベルク王国のウルム郊外アルベックで、広大な農場と旅館、醸造所を経営する裕福な家に、12人きょうだいの11番目として生まれた。父セルヴァティウスは、当時としては階級の割に高い教育を受けており、ロバートを含む子供たちを熱心に教育した。IG・ファルベンの創立者の一人でノーベル化学賞を受けたカール・ボッシュは、ロバートの甥にあたる。1869年にウルムの中等技術学校に入学し、1876年に卒業した。間もなく精密機械の見習工として就職し、その後、母国ドイツ、アメリカ合衆国、イギリスの様々な会社で働いた。1881年にウルムで1年間の兵役に就き、続いて電機会社に勤め、1883年から84年にはシュトゥットガルト工科大学で学んだ。1884年5月に船でアメリカへ渡り、ニューヨークでエジソンの下で働く技術者となった。1885年にはロンドンへ渡り、ジーメンス兄弟社に職を得た。

1886年11月15日、シュトゥットガルトに、のちのボッシュ社の前身となる「精巧機械と電気工学の作業所」を開いた。翌1887年、ゴットリープ・ダイムラーから、ガスエンジン工場が4ストロークエンジンに使っている低電圧の磁石式点火装置に似たものを作れないかと尋ねられ、4台を製作した。装置の目的は、エンジン内の空気と燃料の混合気体に点火するための電気火花を生み出すことで、以後の数年に、ガスエンジンを作る工場向けに数百台を造った。1893年にはフレデリック・シムズが、据え置き型エンジン用の磁石式点火装置を自動車に使えるようにしたいと持ちかけた。社員が改良して、出力を高め、火花の間隔を速くし、完成した装置は特許を取得した。1897年に最初の磁気点火装置を自動車のエンジンに搭載し、第一次世界大戦の戦闘機などにもボッシュの点火装置が取り付けられた。1906年と1910年にアメリカで最初の販売所と工場を開いた。1913年には、会社はアメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアに支店を持ち、売り上げの88パーセントをドイツ国外で得ていた。第一次世界大戦後には、ディーゼル燃料噴射を1927年に実用化するなど、自動車の技術革新を続けた。

最初から職業教育の促進に心を砕き、ドイツで最初期に1日8時間労働を導入した実業家の一人でもあり、社会的責任の意識から、従業員への福利厚生にも力を入れた。第一次世界大戦中の兵器契約で利益を上げることを望まず、数百万マルクを慈善事業に寄付し、1940年にはシュトゥットガルトのロバート・ボッシュ病院を設立した。1920年代から30年代には、自由主義の実業家として様々な経済委員会に参加し、ドイツとフランスの和解を促すことに精力を注いだ。ナチス政権下では平和を進めようとしたが叶わず、会社はまもなく武装化契約を結び、強制労働者を受け入れた。それでも、ヒトラーに抵抗し、ユダヤ人の援助に協力し、親しい仲間とともに多くのユダヤ系の人々を追放から救ったとされる。農業も熱心に営み、狩猟を好んだ。1942年に、後妻とその4人の子供に看取られて、息を引き取った。

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