伝記
ジョン・バリモアは、本名をジョン・シドニー・ブライスといい、1882年2月15日にアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれた俳優である。家族や友人からは「ジャック」と呼ばれた。兄ライオネル、姉エセルとともに「バリモア三兄弟」として名を馳せ、のちの女優ドリュー・バリモアの祖父にあたる。出生証明書には2月14日とあるが、家族の聖書には15日と記されている。母方の祖母ルイーザ・レーン・ドルーの家で生まれ、父モーリスはインド生まれのイギリス人俳優で、ロンドンの劇場で見たポスターから「バリモア」を芸名にした。母ジョージー・ドルーも名門の演劇一家の出で、両親や親戚はみな舞台俳優という家に育った。
幼少期は落ち着かないもので、両親は巡業に出て、子供たちを置いて行くこともあった。1884年には一家で劇団とともにロンドンへ渡り、2年後に戻っている。子供のころは素行が悪いこともあり、規律を教え込もうと各地の学校に入れられたが、うまくいかず、四つの州の小学校に通ったという。フィラデルフィアの修道院付属の学校では、罰としてダンテの『神曲』を読まされ、ギュスターヴ・ドレの挿絵を見て「芸術家になりたい」と思ったと後に語っている。1893年、11歳のときに母が結核で亡くなり、おもに祖母に育てられた。父は巡業でほとんど家におらず、帰ると俳優のクラブで過ごした。1897年にはジョージタウン予備校を退学になった。この頃から飲酒の問題が始まっていたともいわれる。
当初は俳優ではなく画家を志し、パリの美術学校に通ったり、ニューヨークの新聞社で漫画を描いたりしていた。1900年には父と、翌年には姉エセルと舞台に立ち、1903年に俳優としての経歴を始めた。本格的に俳優の道を歩み始めたのは23歳のときとされる。軽い喜劇、次いで重い劇で注目され、1909年には『ザ・フォーチュン・ハンター』のヒットでブロードウェイの人気スターとなった。1914年に映画界にも進出した。1922年に主演した『ハムレット』は大評判となり、同作における当時の最長上演記録を作り、「現存する最高のアメリカの悲劇俳優」と呼ばれた。
端正な風貌から「偉大な横顔」と呼ばれ、舞台で培った確かな演技力で、『ドン・ファン』(1926年)や『マノン・レスコウ』(1927年)のようなロマンティックなメロドラマから、『狂へる悪魔』(1920年)などでの狂気に満ちた男まで、様々な役柄をこなした。1925年にロンドンで『ハムレット』が成功したあと、14年間舞台を離れて映画に専念し、トーキーが始まると、舞台で鍛えた声も強みとなった。1930年代には兄が所属していたMGM社へ移り、『グランド・ホテル』(1932年)などに出演した。しかし若い頃からの過度の飲酒がたたって出演作は減り、50歳を過ぎて二枚目役が難しくなると、脇役へ転じた。晩年はB級映画で自らをカリカチュアしたような役を演じ、4度の結婚にもすべて失敗して、1942年5月29日に60歳で亡くなった。『海の野獣』(1926年)で共演した3番目の妻、女優ドロレス・コステロとの長男ジョン・ドリュー・バリモアも俳優となった。
同じ年に亡くなった人物
- ゲオルク・シュトゥンメ (1942年没)
- グラント・ウッド (1942年没)
- ジョージ (ケント公) (1942年没)
- テオフィロ・イルデフォンソ (1942年没)
- マルセーロ・アルベアール (1942年没)
同じ地域に関係する人物
- ビリー・ワイルダー (2002年没)
- ジョージ・ペパード (1994年没)
- ジャッキー・クーガン (1984年没)
- マーヴィン・ハムリッシュ (2012年没)
- ガス・カーン (1941年没)