HISTORICAL PERSON · 1303年没

エリザベッタ・ディ・シチリア (ハンガリー王妃)

ハンガリー王ラースロー4世の王妃。夫がクマン族を寵愛して顧みられず、一時は島に3年間幽閉されるなど不遇な結婚生活を送った。

生涯
1303年没
死亡地
ナポリ
出生地
ナポリ
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

エリザベッタ・ディ・シチリアは、ハンガリー王ラースロー4世の王妃である。イザベッラ・ダンジョとも呼ばれ、ハンガリーではエルジェーベトまたはイザベッラと呼ばれた。1261年に、シチリア王カルロ1世と、その最初の妃ベアトリス・ド・プロヴァンスのあいだの末子として生まれた。

1270年にラースロー4世と結婚したが、子はなかった。王妃であった期間は、1272年から1290年までとされる。ラースローの母エルジェーベトは、異教徒のクマン族の出身で、ラースローは自分にクマン族の血が流れることから、エリザベッタを避けた。クマン族の衣装を好んで着て、友人にもクマン族が多かった。結婚生活の大半を、クマン族を追いかけて過ごし、彼らをハンガリーに呼んで住まわせようとした。キリスト教社会よりもクマン族の社会を好み、自分だけでなく廷臣にもクマン族の衣装を着せ、クマン族の愛妾を側に置いて、病がちの妃を避けた。クマン族がハンガリーを去ることを決めたときにも、力で引き留めようとした。

1286年、ラースローはクマン族の愛妾と暮らすため、エリザベッタを拘束した。エリザベッタはマルギット島に3年間監禁され、1289年になって、ようやくラースローは彼女と和解した。しかし、ラースローは自分の力だけでは家臣を従わせられないと判断すると、再びクマン族との関係を復活させた。ラースロー4世は1290年に、跡継ぎのないまま世を去り、父の従兄弟にあたるアンドラーシュ3世がハンガリー王位を継いだ。

夫の死後、エリザベッタはナポリに帰ったが、再びハンガリーに戻った。1294年、アンドラーシュ3世の王妃フェネンナが、ヴェスプレームの教会への寄付を集める彼女の特権を確認している。1301年に再びナポリに帰り、サン・ピエトロ修道院でドミニコ会の修道女となった。この修道院は、義理の姉妹で兄カルロ2世の妃、また夫ラースローの姉にあたるマリア・ドゥンゲリアが創設したものである。エリザベッタは1303年に世を去り、このサン・ピエトロ修道院に葬られた。

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