伝記
アノニムス、すなわちベーレ・レーギス・ノタリウス(「ベーラ王の公証人」の意)は、12世紀末から13世紀初めにかけて生きたハンガリー王の公証人で、年代記作者である。仕えた王はおそらくベーラ3世とされる。本人について分かっていることは少なく、ラテン語化した名がPで始まることだけが、自ら「P.と呼ばれる師」と名乗った一節から知られる。
その著作『ハンガリー人の事績』は、1200年ごろに中世ラテン語で書かれ、ハンガリー人がカルパティア盆地へ入った経緯を最も詳しく記したものとなっている。七人のマジャル人の首長の名はこの書を通じて知られているが、歴史家たちは、それらをそのまま事実とは認めていない。地名の由来を説明する試みの大半も、現代の語源学では裏づけられていない。著作からは、本人が上ティサ川流域の出身で、この地方のアバ家と深く結びついていたことが分かる。序文には西ヨーロッパで学んだと記されており、おそらくパリで、この種の著作の形式を身につけたとされる。現存する唯一の写本は、ブダペストのセーチェーニ国立図書館にある。のちにハンガリー語への翻訳が行われ、1791年にペーチの参事会員イシュトヴァーン・レテニェイ、1799年にイシュトヴァーン・マーンディ、1860年にカーロイ・サボーが手がけた。1903年にはミクローシュ・リゲティ作の像がブダペストの市民公園に建てられ、オーピュスタサーにもミハーイ・メーサーロシュによる像がある。
作者がだれかという問いは、長く学者たちの議論の的になってきた。冒頭の一文は、Pの文字に続けて「師と呼ばれ、かつて栄えあるハンガリー王ベーラの公証人であった者」と述べるが、一義的には読み取れない。Pを頭文字とする人物の名と見るのが多数説である一方、Pは「前述の」を意味するラテン語の語の略で、欠けた表紙にあった名を指すという読みもある。この語で始まる文が作中に多く現れることも、後者の読みを支える。また、飾りの大きな頭文字のために略記の印が省かれた可能性もある。
1937年、歴史家ローラーント・シラージはこの人物を、エステルゴムの聖堂参事会員ペーテルと同一とした。この見解は1966年まで複数の著者に共有されたが、同年、文芸誌に載ったホルヴァート・ヤーノシュとショーリョム・カーロイの論文は、ジェールの司教ペーテルと同じ人物だと主張した。著名な歴史家ジェルジ・ジェルフィは1970年にこれを退け、ブダの司祭長を務めたペーテルを作者と考えたが、そのような人物が実在した記録は見つかっていない。
同じ年に亡くなった人物
- John of Garland (1300年(推定))
- Alexius Slav (1300年(推定))
- グイド・ボナッティ (1300年代没)
- ヨハン1世 (ニュルンベルク城伯) (1300年没)
- ロベール・ド・ボロン (1300年(推定))
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