HISTORICAL PERSON · 1941年没

ロバート・ベーデン=パウエル

スカウト運動(ボーイスカウト、ガールガイド)を創立したイギリスの軍人・作家。B-Pの愛称で知られ、男爵に叙された。

生涯
1941年没
死亡地
ケニア共和国(中央州 / ニエリ)
出生地
イギリス連邦(パディントン)
出典
世界地図
ケニア共和国(中央州)

伝記

ロバート・スティーヴンソン・スミス・ベーデン=パウエルは、1857年2月22日にロンドンのパディントンで生まれたイギリスの軍人・作家で、スカウト運動(ボーイスカウト、ガールガイド)の創立者である。B-Pの愛称で知られる。名付け親は、蒸気機関車の発明者ジョージ・スチーブンソンの一人息子で、鉄道技師のロバート・スチーブンソンだった。父ベーデン・パウエルはオックスフォード大学の幾何学教授で牧師でもあり、科学の進歩はキリスト教の教義に反せず合致するという主張でリベラルな神学者として知られた。母ヘンリエッタ・グレイスは海軍の名家スミス家の出で、ロバートは10人兄弟の8番目だった。1860年に父が亡くなり、父をたたえて家族は姓をベーデン=パウエルに改めた。母は35歳で、6男1女の7人の子を育てることになった。

1868年にローズ・ヒル・スクールに、1870年にサリー州のチャーターハウス・スクールに入った。俳優になりたいという夢を母に反対されて受けたオックスフォード大学の入学試験には失敗し、1876年にイギリス陸軍に入った。第13軽騎兵連隊とともにインドに駐在し、アフガニスタンにも移駐した。1884年に最初の著書『偵察と斥候術』を出し、1885年には南アフリカのドラケンスバーグ山脈へ、3週間、600マイルの単独偵察に成功した。1886年から翌年にかけては、ロシア、ドイツ、フランスの軍の演習を個人的に探り、蝶の収集家に変装して、蝶の羽のスケッチに偽装して軍事施設の見取り図を描いたという話が有名である。1895年のマタベレの反乱では、その勇気と斥候の技術、追跡能力を見た部族民が、敵であるB-Pに敬意を払い、「眠らないオオカミ」を意味する「インペーサ」の名を与えた。

1899年から始まったボーア戦争では、南アフリカのマフェキングが8000人以上の敵軍に217日間包囲され、B-Pは少ない手勢で勇戦した。このとき9歳以上の少年たちを「マフェキング見習い兵団」に組織し、伝令や見張りなどの任務に重用した。少年たちは徒歩や自転車で任務を果たし、B-Pはその勇気と機知に感銘を受けた。1900年5月に救援部隊が包囲を突破してマフェキングは解放され、この軍功で史上最年少の陸軍少将に昇進し、「マフェキングの英雄」と呼ばれた。1906年には雑誌に『スカウティング・フォア・ボーイズ』の連載が始まり、これに影響された少年たちは自主的に班を作った。この年に知り合った『シートン動物記』のシートンの著作から、技能賞のバッジの仕組みや班名に動物の名を使うことなどを採用した。1907年8月1日にはブラウンシー島に21人の少年とキャンプをして試した。

1908年にロンドンに英国本部を置き、1910年に陸軍を退役して運動に専念した。同じ年、妹アグネスがガールガイドを創設している。1912年にはオレブ・ソームズと結婚した。1919年に自らの地所ギルウェル・パークに隊長訓練所を開き、1920年の第1回世界ジャンボリーでは「世界の総長」に推挙された。1929年に初代ギルウェルのベーデン=パウエル男爵に叙され、1937年のハーグでの世界ジャンボリーでは、2万7000人のスカウトに別れの演説を行った。1938年にケニアのニエリに移り、1941年1月8日、激務で弱った心臓が止まった。遺体はニエリに葬られ、墓碑はウェストミンスター寺院にある。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物