HISTORICAL PERSON · 1941年没

ロベール・ドローネー

カンディンスキーやモンドリアンと並ぶ抽象絵画の先駆者で、フランス人画家として最も早く完全な抽象画を描いた一人。キュビスムに参加し「エッフェル塔」の連作を制作した。

生涯
1941年没
死亡地
フランス共和国(エロー県 / モンペリエ)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(エロー県)

伝記

ロベール・ドローネーは、1885年4月12日、パリに生まれた20世紀前半のフランスの画家である。ドローネとも表記される。カンディンスキー、モンドリアンとともに抽象絵画の先駆者の一人であり、フランス人の画家としては最も早い時期に完全な抽象絵画を描いた一人である。1903年ごろから画家になる決意を固め、正規の絵画教育は受けなかったが、ゴーギャンやスーラ、セザンヌなどを研究して制作を始めた。化学者で色彩理論家のミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールが論じた色彩の同時対照の理論を読んで影響を受け、初期にはスーラらの新印象派の影響下にあった。

1909年ごろからキュビスムの運動に加わり、「エッフェル塔」や「サン・セヴラン寺院」などの連作を手がけ始めた。1910年にはウクライナ出身の女性画家ソニア・テルクと結婚した。そのころ、ジャック・ヴィヨンやフランシス・ピカビアらのピュトー・グループの画家とも交流した。ピカソやブラックらのキュビスムの画面がほとんど単色に近かったのに対し、ドローネーの画面では色彩が主要な役割を果たした。エッフェル塔や飛行機といった近代的な題材を好んで描き、英仏海峡を初めて飛行機で横断したブレリオへの献辞を記した作品『ブレリオに捧ぐ』(1914年)は、その例である。

ロシア出身の画家であるカンディンスキーも、ドローネーに強い影響を与えた一人だった。カンディンスキーやマルクらの画家グループ「青騎士」がミュンヘンで開いた第1回の展覧会(1911年)に、ドローネーも出品していた。カンディンスキーはその返礼として、自著『芸術における精神的なものについて』を贈ったという。ドローネーは1912年ごろには早くもキュビスムを脱し、「窓」の連作のような純粋抽象に近い作品を制作した。前衛芸術の擁護者ギヨーム・アポリネールは、1913年の講演で、ドローネーに代表される様式を「オルフィスム」と呼び、ピカソらのキュビスムと区別した。ギリシャ神話の音楽家オルフェウスにちなむこの語は、ドローネーらの作品を、他のいかなるものからも影響を受けない独自の芸術であり、音楽と同様の純粋芸術と位置づけたものである。

第一次世界大戦中の数年間は、妻のソニアとともにスペインとポルトガルで過ごし、1921年にパリへ戻った。1920年代にはアンドレ・ブルトンやトリスタン・ツァラらシュルレアリスムやダダイスムの人々とも交流した。画風は1920年代に「エッフェル塔」の連作を再開して具象に近づいたが、1930年ごろから再び抽象に転じ、さまざまな色の同心円を組み合わせた「リズム」の連作を手がけた。1937年にはパリ万国博覧会の航空館と鉄道館のために、フレスコ画「リズム」の連作を制作している。1941年10月25日、モンペリエで癌のため亡くなった。遺体は1952年にイヴリーヌ県ガンベーに再埋葬され、1979年に亡くなったソニア夫人も共に埋葬された。

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