HISTORICAL PERSON · 1940年没

ヴァルター・ベンヤミン

ドイツの文芸批評家・哲学者。プルーストとボードレールのドイツ語訳を残した。ナチスから逃亡中に亡くなり、死の真相は今も不明。

生涯
1940年没
死亡地
スペイン王国(ジローナ県 / ポルトボウ)
出生地
ドイツ連邦共和国(ベルリン)
出典
世界地図
スペイン王国(ジローナ県)

伝記

ヴァルター・ベンヤミンは、1892年7月15日に生まれ、1940年9月26日に没したドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家である。エッセイの形をとった自由闊達なエスプリと、文化史・精神史に通暁した思索の深さで知られ、20・21世紀の都市と人々の有り様を冷徹に予見したような分析でも知られる。ハンナ・アーレントは彼を「文の人」と呼んだ。

ベルリンの裕福なユダヤ人家庭に、エミール・ベンヤミンとパウリーネの長男として生まれ、幸福な少年時代を送った。1912年にフライブルク大学に入学し、翌1913年にベルリン大学へ移った。1915年にゲルショム・ショーレムと知り合い、ミュンヘン大学へ移った。1917年にドーラ・ケルナーと結婚してスイスへ移住し、ベルン大学に籍を置き、1918年に長男が生まれ、エルンスト・ブロッホと知り合った。1919年、学位論文「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」でベルン大学から博士号を受けた。1920年にベルリンへ戻ってこの論文を刊行し、1921年には「暴力批判論」を発表し、「翻訳者の使命」を執筆した。クレーの版画「新しい天使」を入手したのもこの年である。1923年にアドルノやクラカウアーと知り合い、ボードレールの詩集の翻訳を出版した。1925年には教授資格申請論文として「ドイツ悲劇の根源」をフランクフルト大学に提出したが、拒否された。同年プルーストの『失われた時を求めて』の翻訳を始め、1927年に『花咲く乙女たちのかげに』の翻訳を出版して、パリでパサージュの研究を始めた。1928年に『ドイツ悲劇の根源』と『一方通行路』を出版した。1929年に妻ドーラとの離婚訴訟を始め、ブレヒトと知り合い、1930年に離婚が成立した。1931年には「カール・クラウス」「写真小史」などを発表している。

1933年3月にナチスが政権を掌握すると、パリへ亡命した。社会学研究所の紀要に執筆協力を始め、イビサ島やデンマークのブレヒトのもと、イタリアのサン・レモにいる元妻ドーラのもとなどに滞在しながら暮らした。1935年に「パリ 一九世紀の首都」を、1936年には「複製技術時代における芸術作品」を書いた。この論文には「アウラ」の概念が示されており、1936年から1939年まで書き直されて、出版された版によって内容が大きく異なる。1938年にはボードレールについての論考を書き上げた。長く準備した『パサージュ論』は未完に終わり、19世紀から20世紀にかけてのパリの変遷についての引用や断片が並ぶ草稿群として残された。第二次世界大戦の勃発後、原稿の散逸を恐れて、国立図書館に隠したが、これを受け取って秘匿に協力したのは、司書だったジョルジュ・バタイユである。

1939年9月、開戦にともない、敵国人として扱われたベンヤミンはヌヴェール郊外の収容所に入れられた。1940年の春に「歴史の概念について」を執筆し、パリ陥落直前にルルドへ逃れ、8月はじめにマルセイユへ移った。アメリカへの渡航を企てたが出国ビザが下りず、徒歩でスペインへ入ろうとした。9月、ポルボウで入国を拒否され、大量のモルヒネを飲んで自殺を図り、死去したとされる。近年は暗殺説も現れたが、いまだ真相は不明である。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物