伝記
カール・グスタフ・ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタムは、1859年7月6日にスウェーデンのエレブルー県のオルシャマルで生まれた作家、詩人である。父はエンジニアで貴族階級の出身であり、灯台の建設を専門としていた。母はマグダレーナ・リッテルスキョルドである。先祖には、スウェーデン王の侍医を務め、貴族に列せられたペール・ペテルセンがおり、ハイデの生まれにちなんで「フォン・ヘイデンスタム」を名乗った。ヴェルネルは一人息子であった。夏はヴェッテルン湖畔のオルシャマルの荘園で過ごし、冬はストックホルムで暮らしたが、のちの自伝的小説では孤独な少年時代を描き、故郷を常に子供時代の家と考えた。荘園の大きな図書室には古典があり、スウェーデンの詩人ではテグネール、ルーネベリらを読んだ。当初は優秀な生徒だったが、病弱で成績が下がり、17歳で学校を退いた。読み書きに難があったともされる。
学校を退いた後は、療養も兼ねて従兄とともに外国を旅した。アレクサンドリアとカイロに滞在し、ギリシャとイタリアを通って帰国し、秋にはベイルート、エルサレムなどを訪れた。母への手紙で画家になりたいと述べたが、強く反対されたという。1880年にエミリア・ウグラと結婚し、ローマで芸術家をめざしたのち、パリでジャン=レオン・ジェロームに絵を学んだ。しかしすぐに画家を断念し、1882年からは詩に専念した。スイスでは、ヨハン・アウグスト・ストリンドベリと出会い、深い影響を受けた。二人は数年続く友情を結んだが、ヘイデンスタムの原稿に対するストリンドベリの批評をきっかけに、関係は冷えていった。
1887年に帰国して荘園の主となり、翌1888年に、旅の体験を詩にまとめ、南ヨーロッパの素朴な生の喜びを歌った処女詩集『巡礼と放浪の歳月』を発表した。批評家や劇作家から称賛され、自然主義文学に対抗して新ロマン主義の旋風を巻き起こし、一躍文壇の支配者となった。1889年にはシリアを舞台にした小説と、ルネサンスを論じた評論を著した。1892年には自伝的小説『ハンス・アリエーヌス』を刊行し、しだいに故郷スウェーデンを愛する詩人へと移っていった。1893年にエミリアと離婚し、同年にオルガ・ヴィベリと再婚した。1895年に故郷を高らかに歌い上げた『詩』を著して愛国詩人となり、1897年から1898年にかけては、大北方戦争で活躍したカール12世に取材した短編集『カロリネルナ』を著した。
20世紀に入ると、1901年に『聖ビルギッタの巡礼』、1908年に『スウェーデン民族とその指導者』を著して、筆力は衰えなかった。1912年にスウェーデン・アカデミーの会員に選ばれ、1915年には『新詩集』を著した。翌1916年、「我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて」という理由で、セルマ・ラーゲルレーヴに次ぐスウェーデン人二人目のノーベル文学賞を受賞した。母国を歌った詩は、作曲家ヴィルヘルム・ステーンハンマルが曲をつけ、第二国歌の歌詞として使われている。1940年5月20日に亡くなるまで、目立った文筆活動はなかった。
同じ年に亡くなった人物
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- J・C・W・ベッカム (1940年没)
- イタロ・バルボ (1940年没)
- ニコライ・エジョフ (1940年没)
- アルベール・カーン (1940年没)
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- イェオリ・エリクソン (2002年没)
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