HISTORICAL PERSON · 紀元前41年没

アルシノエ4世

プトレマイオス朝の王女。姉クレオパトラ7世と争いカエサル軍に敗れ捕虜となり凱旋式で晒されたが処刑を免れ、後にクレオパトラの意を受けたアントニウス派に殺害された。

生涯
紀元前41年没
死亡地
トルコ共和国(イズミル県 / エフェソス)
出生地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア)
出典
世界地図
トルコ共和国(イズミル県)

伝記

アルシノエ4世は、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス12世の娘で、紀元前41年に没した。生年は紀元前68年から63年のあいだとされ、紀元前68年または67年とする説のほか、63年とする説もある。姉にベレニケ4世とクレオパトラ7世、弟にプトレマイオス13世と14世がいた。母は不明で、クレオパトラ7世と同じ母から生まれたのかも定かでない。プトレマイオス朝の最後期の一員であり、紀元前48年から47年にかけて、姉(異母姉ともされる)クレオパトラに対抗して女王を称し、弟プトレマイオス13世との共同統治を唱えた。

紀元前51年に父が没すると、長男と存命の最年長の娘であるプトレマイオスとクレオパトラが共同統治者となった。ほどなくプトレマイオスはクレオパトラを幽閉または追放して実権を握った。紀元前48年、ファルサルスでポンペイウスを破ったカエサルが追ってアレクサンドリアに来た。ポンペイウスの首を差し出されたカエサルは、プトレマイオスとの提携の道が断たれ、クレオパトラの側についた。姉弟の共同統治に戻すよう裁定し、ローマが紀元前58年に併合していたキプロスをエジプトに返して、アルシノエと末弟プトレマイオス14世に与えた。

しかしアルシノエはこれに従わず、養育係の宦官ガニュメデスとともに首都を脱出し、エジプト軍の指揮をとった。自らアルシノエ4世と名乗って女王を宣言し、それまでの軍司令官アキラスを処刑して、ガニュメデスを自分に次ぐ地位に据えたという。彼女の指揮のもとでエジプト軍はローマ軍に対して一定の成果を挙げた。街路に壁を築いてカエサルを市内の一角に閉じ込め、カエサルは石灰岩の地下に井戸を掘って真水を確保し、さらに沿岸へ船を出して水を探させた。港の制圧をめざしてファロス灯台を攻めたが撃退され、鎧と紫の外套を脱いで泳ぎ、近くのローマ船へ逃れたとされる。

のちにエジプトの有力な将校らは、ガニュメデスに失望し、和平を口実にアルシノエとプトレマイオス13世の交換をカエサルと交渉した。解放されたプトレマイオスは戦いを続けたが、ローマ軍が増援を得るとエジプト軍は決定的に敗れ、紀元前47年のナイルの戦いでプトレマイオスは敗死し、アルシノエは捕虜となった。紀元前46年8月、ローマでのカエサルの凱旋式で、アルシノエは、彼女が勝利した灯台の燃える模型の後ろを引き回された。群衆の同情を集め、カエサルは助命を求める圧力を受け、慣例に反して処刑せず、エフェソスのアルテミス神殿に幽閉した。クレオパトラの脅威とならないようにとの意向だったともされる。

アルシノエは神殿で数年を過ごし、姉クレオパトラの動きを警戒していた。カエサル暗殺後の紀元前41年、クレオパトラの意向を受けたマルクス・アントニウスの命令で、神殿の階段で殺害されたとされ、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』にも殺害の記述がある。この行為は神殿の庇護を踏みにじるもので、ローマに衝撃を与えた。アルシノエを「女王」として神殿に迎えた宦官の神官メガビュゾスは、エフェソスの使節がクレオパトラに請願したことで、ようやく赦されたという。トルコのエフェソスでは、彼女のものと考えられる墓と遺骨が見つかっている。しかし死亡年齢は16歳前後と推定され、史書から割り出される年齢より10歳以上若いため、確定していない。2025年には少年の骨だとする研究も発表され、議論は混迷している。

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