伝記
ペルガモンのミトリダテスは、ボスポロス王ミトリダテス1世ないし2世とも数えられる、アナトリア出身の貴族である。ポントス王ミトリダテス6世と、愛妾であったガラティアの王女アドボギオナ(大)との間に生まれた子で、アドボギオナ(小)という同母の姉妹がいた。ペルシア、マケドニア、ガラティア(ケルト)の血を引くとされる。母方では、ガラティアのトリストボギイ族の四分領主デイオタロスの孫にあたるという。
父は彼をペルガモンへ送って教育を受けさせ、彼はやがてこの都市の指導的な市民となった。トロクミ族の四分領主も務めた。ただし、ポントス王の庶子であり、王が自分の宮廷で育て、遠征の陣営にも連れて行ったとも伝えられる。紀元前64年には、生まれ故郷の都市の統治権を得たとされる。
紀元前48年から47年にかけての冬、ユリウス・カエサルはアレクサンドリアで、プトレマイオス13世の後見人で将軍のアキラスの軍に包囲されていた。ミトリダテスは軍を編成して救援に駆けつけた。シリアとキリキアで兵を集めてカエサルの軍を補強したともいわれ、ペルシオンを奪ったが、ナイル川を渡ろうとして阻まれたという。ユダヤから来た、アンティパトロス率いる部隊の支援を受けて最終的な勝利にも加わり、ナイルの戦いに参加したとされる。その後はカエサルに従って、ポントスのファルナケスとの戦いにも加わった。ゼラの戦いでローマ側が勝利すると、カエサルから母方の称号である四分領主の地位と、ボスポロス王国の王位を与えられた。
当時のボスポロス王国は、彼の姪ディナミスとその夫アサンドロスが統治していた。カエサルは、この二人を倒すよう彼に命じたといい、ミトリダテスの軍は二人を破った。しかしその治世は短かった。紀元前47年か46年にアサンドロスに敗れたとされ、ボスポロスとコルキスを治めたのは紀元前47年から45年の間とも数えられる。最期については、ほどなく死んだとも、アサンドロスとの戦いで、カエサルから与えられた王国を手に入れようとして討たれたともいわれる。また、カエサルの暗殺後にオクタウィアヌスから退位を強いられ、アサンドロスとディナミスに王位を譲ったのち、間もなく死んだとする説もある。アサンドロスは、紀元前27年から17年のあいだにアウグストゥスから正式にボスポロス王と認められた。
1963年の映画『クレオパトラ』では、イタリアの俳優フリオ・メニコーニが彼を演じている。
同じ年に亡くなった人物
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス (紀元前45年の補充執政官) (紀元前45年没)
- Publius Cornelius Sulla (紀元前45)
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前51年の執政官) (紀元前45年没)
- Gaius Memmius (紀元前45)
- Sextus Julius Caesar (紀元前45)
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