HISTORICAL PERSON · 1937年没

グリエルモ・マルコーニ

イタリアの発明家・起業家。無線電信の開発で知られ、1909年にノーベル物理学賞を受賞した。短波の「昼間波」を発見し、1933年には世界初のUHF実用回線を完成させた。

生涯
1937年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
イタリア共和国(ボローニャ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

グリエルモ・マルコーニは、1874年4月25日、ボローニャで、裕福な地主ジュゼッペ・マルコーニと、アイルランド人の母アニー・ジェームソンの次男として生まれた。母はジェムソン・アイリッシュ・ウイスキーの創業者の曾孫にあたり、兄にアルフォンソがいる。2歳から6歳までは、兄や母とイングランドのベッドフォードで暮らした。裕福な家庭だったため、一般の子供のようには学校に通わず、両親が雇った家庭教師から数学や物理、化学を個人指導で学んだ。秋や冬には母の姉妹が住むリヴォルノに毎年のように滞在し、そこで母は、地元の高校で物理と数学を教えるヴィンツェンツォ・ローザを家庭教師に雇った。ローザはヘルツ波に関心があり、実験装置も持っていた。マルコーニは17歳だった1891年の秋からほぼ1年間、基礎的な物理学と電気工学の理論と応用について個人授業を受け、ローザの自宅の研究室で実験も行った。のちにこの出会いが重要だったと振り返っている。

18歳でボローニャに戻ると、ボローニャ大学のアウグスト・リーギ教授と交流を始め、教授は講座への参加と大学の研究室や図書館の使用を許した。その後、フィレンツェの高等専門学校でも学んでいる。若いころから電気に興味を持ち、ヘルツの死の後にその発見を再検討する書物が出ると関心をかきたてられた。リーギはヘルツの成果に基づく研究をしていた。マルコーニは自宅の屋根裏で装置を自作して実験を始め、無線電信の実用的な方式を完成させようとした。それまで商業的成功を収めた者はいなかった。彼は部品を一つずつ改良して組み合わせ、リーギの設計を手本にした火花送信機、高く設置したアンテナ、改良したコヒーラ検波器、電鍵、モールス符号を紙テープに記録する電信自動記録器から方式を築いた。

1895年夏には実験を屋外へ移し、送信機と受信機のアンテナを長く垂直に配置して一端を接地させると、通信距離が大幅に延び、丘を越えて約1.5キロメートルの通信に成功した。マルコーニは、さらに資金をかければ商業的にも軍事的にも価値が出ると判断した。ところがイタリアでは彼の成果に関心を持つ者が少なかったため、1896年、21歳で母とともにロンドンへ赴いた。英語も流暢に話した彼に、郵政庁の主任電気技師ウィリアム・プリースが興味を示して支援を約束した。同年7月27日に郵政庁と貯蓄銀行の屋上のあいだで公開実験を行い、9月にはソールズベリー平原でも実演した。タイムズ紙などが報じて、イギリス全土に名が知られた。

1897年3月にはソールズベリー平野で約6キロメートルの距離でモールス符号を送り、5月13日には、南ウェールズの岬からブリストル海峡のフラットホルム島まで約6キロメートルの、世界初の海を越える無線通信に成功した。距離はその後16キロメートルまで伸び、同年にマルコーニ社を創立した。1898年にはロイズのために北アイルランドで実験を行い、1899年3月にはイギリス海峡を横断する通信を成功させた。同年秋にはアメリカ合衆国へ招かれ、ニューヨークでアメリカスカップのヨットレースの模様を無線で伝えた。

1909年に無線通信の発展への貢献からブラウンとともにノーベル物理学賞を受けた。1916年からは短波の開拓に着手し、日中でも遠距離通信ができる「昼間波」を見いだし、1933年には世界初の極超短波の実用回線を完成させた。実業家としても成功を収めたとされる。初代マルコーニ侯爵となり、1937年7月20日に没した。

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