伝記
イザベル・ド・フランスは、フランス王ルイ9世と王妃マルグリット・ド・プロヴァンスの娘で、のちのフィリップ3世の姉にあたる。1241年3月2日に生まれたとされるが、1242年とする記述もある。ナバラ王テオバルド2世の妃となり、ナバラ王妃、シャンパーニュ伯妃となった。
ルイ9世はナバラとの和平を望み、娘イザベルをテオバルドに嫁がせた。結婚式はルーアン大司教によってムランで挙げられた。日付は1255年4月6日とされ、このときイザベルは13歳だった。1258年とする記述もある。ふつう王女の結婚の支度は母が受け持つが、このときは父ルイ9世が娘に与えた指示が残っており、これは異例だったという。この結婚のあと、テオバルドは義父のルイ9世に相談を持ちかけるような親しい関係になった。夫妻に子は生まれなかったとされるが、同時代のスペインの年代記には、1258年ごろに一人の子を失ったと伝えるものがある。また、二人は夜に寝室へ下がるときも完全には服を脱がないほど慎み深かったという同時代の記録がある。
1270年7月、イザベルは夫と父とともに第8回十字軍に出発した。その8月、父ルイ9世はチュニスで死んだ。夫のテオバルドは帰路のシチリアで、疫病にかかって12月に死去した。夫には子がなかったため、弟のエンリケ1世(アンリ3世)が王位と伯位を相続した。父と夫の死のあとフランスに戻ったイザベルは、プロヴァンスで暮らした。翌1271年4月、イザベルも亡くなったが、日付は17日とも27日ともいわれる。30歳だったとされ、死んだ場所はイエールとされる。後世のスペインの年代記には、夫の死の少しあとに、身ごもったまま死んだと書くものがある。臨終の際に、肉を骨から離すために遺体を煮るとき、体がきちんと覆われているようにと、付き添う人々に頼んだと伝えられる。埋葬は夫の隣のプロヴァンとされるが、シチリアのトラーパニの教会に夫と共に葬られたとする説もある。
シャンパーニュ家は、エンリケ1世の娘で義理の姪にあたるフアナ1世を最後に断絶した。フアナと結婚してフランスとナバラの王を兼ねた最初の王フィリップ4世は、イザベルの実の甥である。
同じ年に亡くなった人物
- サワ2世 (セルビア大主教) (1271年)
- ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ (1271年)
- ヤロスラフ3世 (1271年没)
- イザベル・ダラゴン (1271年没)
- アルフォンス・ド・ポワティエ (1271年没)
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