伝記
ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスは、共和政ローマ後期の政務官で、紀元前94年に執政官を務めた人物である。紀元前82年、ローマ内戦のさなかにマリウス派によって殺害された。
ドミティウス氏族は平民の家柄で、アウグストゥス帝の時代には貴族系とみなされるようになっていた。スエトニウスによれば、氏族の先祖が神のような姿をした双子の若者に出会い、戦勝をローマ人に知らせるよう命じられた。その際に若者たちが彼の頬に触れると、髪が黒から赤銅色に変わったため、赤毛を意味するアヘノバルブスの名で呼ばれ、それが子孫の家族名になったという。この人物のひ孫グナエウスが、紀元前192年にこの家で最初の執政官となった。本記事の人物はそのグナエウスのひ孫にあたり、父は紀元前122年の執政官グナエウス、祖父は紀元前162年の補充執政官グナエウスである。兄のグナエウスは紀元前96年に執政官を務めた。法律家アスコニウスは、紀元前78年の執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス・カピトリヌスを彼の甥としているが、この説を疑う歴史学者も多い。
歴史に登場するのは紀元前100年である。この年の12月、民衆派の護民官サトゥルニヌスが反乱を起こしてローマで戦闘となった。キケロは、サトゥルニヌスと戦うためにサンカ神殿の武器庫に集まった元老院議員を列挙しており、その中にアヘノバルブス兄弟も含まれている。サトゥルニヌスの最大の政敵だったメテッルス・ヌミディクスは彼の親友で、亡命した後も兄弟に手紙を送り、二人の態度を見て最高に慰められると書いた。
紀元前97年(紀元前96年ごろとも)には法務官となり、シキリア属州の総督を務めた。その少し前にシキリアでは第二次奴隷戦争が鎮圧されたばかりで、統治は厳しかったらしい。巨大な猪の肉が献上された際、奴隷身分の羊飼いが槍で仕留めたと知ると、奴隷が武器を持つことを禁じた法に違反したとして、その羊飼いを十字架にかけるよう命じたという。紀元前94年にはガイウス・コエリウス・カルドゥスとともに執政官に選ばれたが、就任したこと以外の記録は残っていない。
最後の記録は死に関するものである。紀元前82年、プラエネステでスッラ軍に包囲された小マリウスは、ローマの法務官ダマシップスに元老院議員の殺害を命じた。リウィウスは「ローマに住んでいる全てのノビレス」としているが、名前が挙がるのはプブリウス・アンティスティウス、カルボ・アルウィナ、クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ、そしてアヘノバルブスの4人だけである。スカエウォラの親戚は小マリウスの妻であり、カルボ・アルウィナはマリウス派の有力者グナエウス・パピリウス・カルボの従兄弟だったことから、歴史学者ベディアンはこの4人を単なる恣意の犠牲者とは言えないとする。彼らはスッラ側へ行こうとして計画が漏れたのだろうとも推測される。一方で、彼は内戦の際にスッラの率いる門閥派に与していたとも伝えられる。また、ダマシップスが独自に行い、小マリウスの命令という話は後の伝説だとする説もある。ダマシップスは集会と称して犠牲者を元老院議事堂に招き、最も残酷な方法で殺したとされる。アヘノバルブスは逃げ出したが部屋を出る前に殺され、遺体はフックでティベリス川に引きずり込まれた。ウァレリウス・マクシムスは、切断された頭が犠牲獣の頭と混ざっていたと記している。
同じ年に亡くなった人物
- クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ (紀元前95年の執政官) (紀元前82年没)
- ガイウス・マリウス (紀元前82年の執政官) (紀元前82年没)
同じ地域に関係する人物
- ルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前90年の執政官) (紀元前87年没)
- セルジオ・トファーノ (1973年没)
- アリダ・ヴァリ (2006年没)
- ニーノ・マンフレディ (2004年没)
- アドリアン・オーズー (1691年没)