伝記
ケネス・グレアムは、1859年3月8日にスコットランドのエディンバラで生まれた小説家で、児童文学の名作『たのしい川べ』(1908年)の作者として知られる。3歳上の姉ヘレンと、1歳上の兄トマス・ウィリアム(愛称ウィリー)がいた。父ジェイムズ・カニンガム・グレアムは弁護士だったが、性格の弱さがわざわいして家族の生活は不安定だった。ケネスが5歳のとき、母エリザベスが弟ローランドを産んで間もなく猩紅熱で死亡し、ケネスも同じ病にかかって重い状態になった。回復したが、以後は生涯、肺の感染症にかかりやすかったという。父は悲しみのなかでスコットランドに残って酒に溺れ、子どもたちは、イングランドのバークシャー州クッカム・ディーンに住む母方の祖母のもとに引き取られた。
この田舎での暮らしは孤独だったが、近くを流れるテムズ川とその周りの自然や小動物に、ケネスは親しみを感じた。両親と別れて思うようにならない日々を送る少年にとって、自然は避難場所であり、魔法の国だった。のちに幼年期を語って、四つから七つまでの記憶のほかには特に覚えていることはない、と述べている。1868年、9歳でオックスフォードのセント・エドワーズ校に寄宿生として入り、学業でもスポーツでも優れ、神学とラテン語の賞を受けた。1875年のクリスマス休暇にロンドンで兄ウィリーが肺の感染症で亡くなっている。オックスフォード大学への進学を望んだが、学費を出すことを叔父が拒んだため叶わず、叔父の事務所で働いたのち、19歳でイングランド銀行に就職を余儀なくされた。そこで30年近く働いて、1898年には総務部長にあたる地位に昇進した。
銀行勤めの傍ら、ロンドンの芸術家のたまり場になっていたレストランなどで学者や芸術家と知り合い、ひそかに詩や随筆を書きためた。1890年ごろから、その随筆は有名な文芸雑誌に載りはじめた。詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの勧めで、1893年に短編と随筆を集めた『ペイガン・ペーパーズ』を出版し、好評を得た。のちの随筆集は『黄金時代』(1895年)と『夢の日々』(1898年)にまとめられ、これらによってグレアムは名声と成功を手にした。1899年、40歳で3歳年下のエルスペス・トムソンと結婚し、翌年に男の子が生まれて、アラステアと名づけられた。しかし結婚は幸せなものではなく、息子は生まれつき片目が見えず、短い生涯のあいだ健康の問題に苦しみ続けた。
1908年にメスエン社から『たのしい川べ』が出版された。この物語は、もともと息子アラステアのために語られたもので、主人公ヒキガエルのわがままぶりを親子で笑いあったという。同じ年、体調を崩してイングランド銀行を退職した。『たのしい川べ』は、それまで何人かの画家が挿絵をつけてきたが、1931年版では『クマのプーさん』の挿絵も描いたE・H・シェパードが、小動物たちの世界を初めて生き生きと描いた。シェパードが訪ねたとき、グレアムはすでに衰えて川べを歩けなかったが、どのあたりを歩けばよいかを教え、「どうか、この動物たちを親切に描いてください。私は、彼らを愛しているのです」と語ったという。1932年7月6日、バークシャー州のパングボーンで没し、オックスフォードのホーリーウェル共同墓地に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- ミハイル・ポクロフスキー (1932年没)
- フレデリック・ターナー (1932年没)
- Giovanni Battista Alberto Pirelli (1932年没)
- フィリッポ・トゥラーティ (1932年没)
- フランツ・フォン・ヒッパー (1932年没)
同じ地域に関係する人物
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- エスリン・トレワヴァス (1993年没)
- ネヴィル・チェンバレン (1940年没)
- ジョージ・コール (2015年没)
- アーサー・シュスター (1934年没)