伝記
エレファンティスは、紀元前1世紀の末ごろに活動したとされるギリシアの女性詩人であり、医者でもあった。古典古代の世界では、悪名高い性愛の手引書の著者として知られていた。エレファンティネという形の名でも呼ばれる。生没年や出身地などの個人的な経歴は伝わっておらず、作品もすべて失われている。
古典古代には遊女が動物の名を名乗ることが流行しており、そのためエレファンティスは同名の2人以上の人物だったのではないかと考えられている。古代の事典の項目でも、この名は作り出されたものらしいとされ、動物にちなんだ遊女名の一群に連なるものと見られている。名前の由来としては、エジプトの贅沢に関する古い伝承のほうがもっともらしいという。
著作についての記録は、他の古代の文献に断片的に残っている。スエトニウスの『皇帝伝』によれば、ローマ皇帝ティベリウスはカプリ島の別荘に引きこもる際、エレファンティスの著作を一揃い持っていった。寝室を淫らな絵や像で飾り、この著者の書物を備えたとも記されている。フランス語の百科事典的な記述では、その書物は絵を添えて愛の体位を述べたもので、皇帝ティベリウスがこの作品の成功を後押ししたとされる。
詩人たちもこの書物に触れている。『プリアペイア』と呼ばれる詩集の一篇には、ララゲという女が、エレファンティスの書物から取った慎みのない絵を男根神に奉納し、絵に描かれた多様な交わりをこの神が自分と試してくれるよう願う、という内容がある。ローマの詩人マルティアリスの警句にも、ディデュモスの娘たちも、エレファンティスの放埒な書物も知らないような詩、という一節がある。そこにある「ノウァエ・フィグラエ」という語は「ノウェム・フィグラエ」と読まれることもあり、「新しい形」ではなく「九つの形」だと解して、9種類の体位が挙げられていたと推測する注釈者もいる。古代の事典は、この書は医学書や自然科学書の多くと同じく挿絵を備えていたのだろうと述べ、古代のカーマ・スートラのような作品だったに違いないとしている。
医学・美容に関する記録もある。大プリニウスは、エレファンティスが産婆として行った仕事に言及している。また、ライスとエレファンティスが堕胎薬について互いに矛盾することを伝えたと述べ、同じ方法で、一方は妊娠しやすくなるといい、他方は不妊になるという以上、信じないほうがよいと記した。ガレノスは、脱毛を治す力があったことを記している。彼女は化粧に関する手引書と、堕胎薬に関する手引書も書いたとされる。ただし古代の事典は、化粧品などを扱った擬似医学的な小冊子だったと性格づけている。
同じ年に亡くなった人物
- Marcus Furius Bibaculus (紀元前100)
- ボックス1世 (紀元前 100年(推定))
- ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス (紀元前 100年(推定))
- ディウィキアクス (紀元前100)
- クイントゥス・セクスティウス (紀元前 100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Lysis of Taras (紀元前347)
- アイソーポス (紀元前560年代没)
- イウヤ (紀元前1400)
- ミカエル・コニアテス (1220年没)
- パタラのメトディオス (310年代没)