伝記
ガイウス・ルキリウスは、古代ローマの詩人である。ローマ最古の風刺詩人とされ、その作品は断片しか残っていない。ラティウムのスエッサ・アウルンカ、現在のイタリア南部カンパニア州のセッサ・アウルンカに生まれた。生涯には不明な点が多く、生年は紀元前180年、170年、168年、148年など諸説あって定まらない。ヒエロニムスは生年を紀元前148年、没年を紀元前103年としているが、この生年は他に伝わる事実と両立せず、誤りで、本当は紀元前180年ごろだろうと論じられている。
家は騎士身分(エクィテス)で、裕福であり、優れた教育を受けて古典ギリシア語に堪能だったとされる。姉妹のルキリアは、のちに政治家となるセクストゥス・ポンペイウスの母で、大ポンペイウスの父方の祖母にあたる。元老院議員を出す名門の出ではなかったが、そうした家々の人々と対等に付き合える立場にあった。この点が、当時の元老院の力が強い時代にあって、彼の作品の大胆さや独創性、そして徹底してローマ的な性格に結びついたとも説明されている。ローマの政治や社会の風刺の源は、グラックス兄弟の改革を生んだ社会の混乱にあるともいわれる。
若いころにローマへ移り、スキピオ・アエミリアヌスが主宰するサークルに加わって交友を広げ、生涯の大半をローマで過ごした。紀元前134年に始まったヌマンティア戦争では、スキピオの率いる部隊に騎兵として従軍した記録がある。ホラティウスは、ルキリウスがスキピオやラエリウスとごく親しく交わり、前者の武勲や徳を風刺詩のなかでたたえたと記している。初期に発表されたとみられる巻の断片は、スキピオの存命中に書かれたことをはっきり示しているという。そのなかには、ポピッリウスの敗戦と、ヌマンティア陥落をもたらしたスキピオの功績とを対比した一節もあり、陥落の知らせが新しいうちに書かれたと見られている。
詩作を始めた時期は分からないが、中年期からとされる。風刺詩を書き始め、30巻の『風刺詩集』を発表した。そのほとんどはヘクサメトロス(六歩格)で書かれ、スキャンダル、交友関係、社会、政治、個々の人物などを縦横に風刺している。なかでもよく知られているのは、ホメロスの冗長な文体などをからかったもので、ギリシア悲劇や叙事詩のパロディにも挑んだ。とくに古典ギリシア時代の詩人を強く批判した。形式の面ではギリシアに負うところが少なく、ローマで古くから親しまれた土着の演劇的な娯楽から発展し、しばしば書簡の形式も用いたとされる。教養ある人々の日常の会話で使われる言葉を用い、ギリシア語の語句や引用もしばしば織り込んだ。のちの時代の評価では、風刺詩の発明者と呼ばれ、人物や道徳、政治、文学などを攻撃的に批判するという、風刺の性格を定めた人物とされる。
ルキリウスは紀元前103年あるいは紀元前102年ごろ、ネアポリス(現在のナポリ)で没した。国家の官職には就かなかったが、国葬の栄誉を受けたと伝えられ、生前の人気がうかがえる。キケロやホラティウスが彼に言及し、ペルシウス、ユウェナリス、クィンティリアヌスも称賛したとされ、ホラティウスやユウェナリスらの詩人に影響を与えた。『風刺詩集』の大部分は後に失われ、後世の著作家による引用の形で断片が残るのみである。1597年にはライデン出身のオランダの古典学者フランシスカス・ドゥーザが、その断片を集めて発表している。
同じ年に亡くなった人物
該当人物はまだありません。
同じ地域に関係する人物
- アントン・ドストラー (1945年没)
- ロベルト1世 (ナポリ王) (1343年没)
- カルロ・オリアーニ (1917年没)
- アンドレア・ドゥンゲリア (1345年没)
- ジャコモ・ルッソ (1967年没)