伝記
フィリップ1世は、1195年から1212年までナミュール侯をつとめた人物で、高潔侯と呼ばれた。1175年に、エノー伯ボードゥアン5世と、フランドル女伯マルグリット・ダルザスの次男として生まれた。父方の祖母はアリス・ド・ナミュールである。父ボードゥアン5世は、盲目伯と呼ばれる伯父ルクセンブルク伯アンリ4世から、1165年にナミュールの相続人に指名されていた。しかしアンリに娘エルメジンデが生まれると、アンリは贈与を取り消した。ボードゥアン5世は、ナミュールをルクセンブルクから独立させるため、1190年に伯父と戦ってナミュールを征服し、1194年に皇帝ハインリヒ6世は、ナミュールを侯領とすることを宣言した。
父の遺言により、ナミュール侯領は、エノー伯領の封土として、次男のフィリップ1世が継いだ。フィリップは、フランドルの紋章を変えて、赤い斜め帯を加えた。しかし、エルメジンデと結婚していたバル伯ティボー1世は、ナミュールを手放さず、フィリップを攻撃して、ナミュールで包囲した。この戦いは、3年続き、1199年7月26日にディナン条約が結ばれて、フィリップ1世がナミュール侯と認められた。
フィリップは、兄のフランドル伯ボードゥアン9世が第4回十字軍に出ているあいだ、エノー伯領の摂政をつとめ、ボードゥアン9世の2人の娘ジャンヌとマルグリットの後見人にもなった。アドリアノープルでボードゥアンが捕らえられたあと、フィリップは、ポン=ド=ラルシュで、フランス王フィリップ2世に会議へ召喚された。フィリップは、フランス王に忠誠を誓い、姪たちをフランス王の後見のもとに置くことを余儀なくされた。そのうえ、フィリップ2世と、アニェス・ド・メラニーの娘マリーとの結婚も強いられた。これに憤ったフランドル人とエノー人は反乱を起こし、フィリップはフランドルとエノーの摂政の座を退かされた。
ナミュールでは、フィリップは平和的で信心深い領主として、社会の発展を進めた。また、争う多くの領主のあいだの調停も行った。1212年10月9日、ヴァランシエンヌで赤痢にかかり死去した。子はなく、双子の妹ヨランドを跡継ぎに指名していた。ヨランドは、オーセールとトネールの女伯で、のちにナミュール侯領を継いだ。1200年から1212年に使われた騎馬像の印章には、エノーの3本の山形の入った盾が描かれ、裏印には、兄の持つフランドルの獅子に弟の印の斜め帯を加えたものがあった。これが、のちのナミュール侯領の紋章となった。
同じ年に亡くなった人物
- サンシュ1世 (ポルトガル王) (1212年没)
- ダウマー・ア・ブーメン (1212年没)
- Guilhem de Cabestany (1212年没)
- 法然 (1212年没)
- ベアトリッツ・デ・ディア (1212年)
同じ地域に関係する人物
- ドミニク・ヴァンダム (1830年没)
- ウィルフレッド・オーエン (1918年没)
- アルヌール3世 (フランドル伯) (1071年没)
- Georges Beaucourt (2002年没)
- リュシアン・ドマネー (1979年没)