伝記
ジュール・アンリ・ファヨールは、1841年7月29日に生まれ、1925年11月19日に没した、フランスの鉱山技師、地質学者、企業経営者で、経営学者である。管理過程学派の始祖で、「管理原則の父」とも呼ばれ、フレデリック・テイラーとともに経営管理論の礎を築いたひとりに数えられる。建築技師だった父の赴任先、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)で生まれた。父は軍にあって、金角湾にかかるガラタ橋を建設する工事の監督を命じられていた。一家は1847年にフランスへ戻った。ファヨールは1856年から1858年にリヨンのリセに通い、1860年に十九歳でサン=テティエンヌ鉱山学校を卒業して、技師の資格を得た。
同年、炭鉱会社コマントリー=フルシャンボー=ドゥカズヴィル社に、炭鉱技師として入った。社長のモニーが、サン=テティエンヌ鉱山学校の優秀な技師を採ろうとして採用した人物のひとりで、モニーはファヨールを後継者に育て、彼は二十五歳でコマントリー鉱山の責任者を継いだ。1872年にはコマントリーなどの鉱山グループの総支配人となった。坑内火災の原因とその予防や消火の方法、焼けた鉱区の回復方法を研究し、炭田の構造についての知識も得た。同社傘下の鉱山の責任者を歴任したのち、1888年に社長に就任した。当時、同社は倒産寸前で、取締役会は鉄鋼と炭鉱の事業を放棄しようとしていたが、ファヨールは会社を再建する計画を示し、取締役会が受け入れた。増資や社債発行など巧みな資金調達、不採算部門の売却、新規事業や高収益部門への集中などの戦略をとり、再建に成功した。1918年に社長職を辞するまで三十年にわたって経営の指揮を執り、辞任後も取締役として、没するまで経営に参画した。
主著『産業ならびに一般の管理』(1916年)で、企業の経営には管理が最も重要であると指摘した。企業の経営活動を、技術、商業、財務、保全、会計、管理の六つに分類し、中でも管理活動を重視して、「管理とは、計画し、組織し、指揮し、調整し、統制するプロセスである」と定義した。さらに、管理教育の必要性と可能性を論じ、管理の一般原則として、権威と責任、命令の統一、指揮の統一、個人利益の全体利益への従属、公正な従業員報酬、階層組織、従業員の安定、創意、従業員の団結など、十四の原理を示した。これらの原則は絶対的なものではなく、すべて程度問題であり、事態や人間、その他の変動要因を考慮すべきだとの注意も残している。これが管理過程論の始まりとなった。1918年には管理学研究所を創設し、管理論の研究や普及に貢献した。
ほかの著作に、『公共心の覚醒』(1917年)と『国家の産業的無能力』(1921年)がある。1929年に『産業ならびに一般の管理』がアメリカで出版されると高く評価され、管理過程論が生まれた。ただし、これらの原則は実務の体験に基づく経験論にすぎず、管理の本質的な認識を欠くとの批判もあり、ハーバート・サイモンは「矛盾した経験則の寄せ集め」と批判した。地質学者としての一面もあり、1886年の論文『コマントリーの石炭地帯に関する研究』で堆積学、特に三角州の分野の研究を行い、高い評価を受けた。その後も炭鉱火災防止の研究を続け、いくつもの賞を受け、1888年にレジオンドヌール勲章のシュヴァリエ章、1913年にオフィシエ章を受けた。1925年、胃潰瘍の手術の予後不良により、パリで八十四歳で死去した。
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