伝記
サンチャ・デ・カスティーリャは、1154年か1155年の9月21日に生まれた、アラゴン王アルフォンソ2世の王妃である。レオン・カスティーリャ王アルフォンソ7世と、その2番目の妃リクサ・シロンスカの娘で、成人まで生き延びた唯一の子だった。アルフォンソ7世は、最初の妃ベレンゲーラ・デ・バルセロナとの間の娘にも、同じサンチャの名をつけており、この異母姉は1153年にナバラ王サンチョ6世と結婚した。
1174年1月18日、サラゴサで、アラゴン王アルフォンソ2世と結婚し、王妃となった。この結婚は、イベリア半島の諸王国の同盟関係を深め、カスティーリャとアラゴンの結びつきを強めた。二人の間には、成人した子だけで少なくとも8人が生まれた。サンチャは、単なる飾りの王妃ではなく、夫とともに統治に加わったことが、王の文書から読みとれる。アルフォンソ2世とサンチャの連名による授与の文書も残っている。ジロー・ド・カランソンやペイレ・レーモンなどのトルバドゥールのパトロンでもあった。やがて、自分の寡婦財産の一部をめぐって、夫との法的な争いに巻き込まれた。1177年には、リバゴルサ伯領に入り、そこで王家が持っていた城や要塞を、力ずくで手に入れた。
1196年に夫がペルピニャンで死ぬと、サンチャは息子ペドロ2世によって、政治から遠ざけられた。宮廷から退き、自分が創建した、貴族の女性のための聖ヨハネ騎士団の修道院サンタ・マリア・デ・シヘナ王立修道院に隠棲した。そこで、聖ヨハネ騎士団の十字をつけた。シヘナの創建は、王家の保護の大きな行いで、このような施設は、宗教の場であるだけでなく、王家の記憶と、貴族の女性の権威の場でもあった。サンチャは生涯、この修道院と親しい関係を保ち、その組織や共同体にも力を及ぼした。修道院の集会室には、旧約聖書と新約聖書の場面を描いた壁画があり、サンチャの働きによるとされる。シヘナは、エルサレムに由来する典礼の伝統に従い、サンチャは、真の十字架の聖遺物を寄進したと記録される。
晩年には、未亡人となっていた娘コンスタンサが、1208年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世と結婚するためアラゴンを離れる前に、彼女をシヘナでもてなした。サンチャはその後まもなく、1208年11月9日に、54歳で亡くなり、シヘナの主祭壇の前に埋葬された。墓は今もそこにある。子には、アラゴン王ペドロ2世(1174年または1176年-1213年)、ハンガリー王イムレと、のちにフリードリヒ2世と結婚したコンスタンサ(1179年-1222年)、プロヴァンス伯アルフォンソ(1180年-1209年)、トゥールーズ伯レーモン6世と1203年に結婚したレオノール(1182年-1226年)、早世したラモン・ベレンゲー、トゥールーズ伯レーモン7世と1211年3月に結婚したサンチャ(1186年-1241年)、モンテアラゴン大修道院長フェルナンド(1190年-1249年)、シヘナの修道女ドゥルセ(1192年生)がいる。
同じ年に亡くなった人物
- イレーネー・アンゲリナ (1208年没)
- ピエール・ド・カステルノー (1208年)
- 章宗 (金) (1208年没)
- Nicholas of Verdun (1208年(推定))
- マリア・コムネナ (1208年没)
同じ地域に関係する人物
- ラミロ1世 (アラゴン王) (1063年没)
- ルペルシオ・レオナルド・デ・アルヘンソーラ (1613年没)
- Isabella of Aragon (1424年没)
- アルフォンソ1世 (アラゴン王) (1134年没)
- ダビ・カニャダ (2016年没)