HISTORICAL PERSON · 1923年没

ヨハネス・ファン・デル・ワールス

オランダの物理学者。分子の大きさと分子間力を考慮した気体の状態方程式を見いだし、気体と液体の連続性を示して、1910年にノーベル物理学賞を受賞した。

生涯
1923年没
死亡地
オランダ(北ホラント州 / アムステルダム)
出生地
オランダ(ライデン)
出典
世界地図
オランダ(北ホラント州)

伝記

ヨハネス・ディーデリク・ファン・デル・ワールスは、1837年11月23日、オランダのライデンに生まれた物理学者である。大工をしていた父ヤコブスと母エリザベト・ファン・デン・ベルフの、10人きょうだいの長男だった。19世紀の労働者階級の子の習いとして、中等学校には進まなかった。ほとんど独学で科学の知識を身につけ、学校の教師になった。1862年からライデン大学で聴講し、ラテン語やギリシャ語ができないため正規の試験を受ける資格がなかったが、1865年まで、余暇を見つけてはここで勉強した。1864年にはデヴェンターの中学校に赴任し、のちにこの町で中学校の校長になった。しばらくして、法改正により古典学の試験が免除されると、ライデン大学に入学した。

彼の研究の始まりは、分子運動論から理想気体の法則を導いたクラウジウスの論文だった。これに触発され、二酸化炭素の状態を調べて臨界温度を求めたアンドリューズの実験(1869年)を、分子論的に説明できないかと考えた。そして、理想気体の状態方程式に、分子間の引力と分子の大きさを表す二つの定数を導入することで、実験結果をうまく説明できることを発見した。1873年に、博士論文『液体と気体の連続性について』を発表し、分子間力と分子自身の体積を考慮した、気体と液体の両方を含む状態方程式を示した。当時は、マッハやオストヴァルトを中心に、分子の存在を否定する哲学的な潮流があり、分子の構造はまだ多くの物理学者に受け入れられていなかったが、彼の仕事は分子の実在を裏付け、その大きさや引力の評価を可能にした。マクスウェルは、「ファン・デル・ワールスの名は、まもなく分子科学の最先端に記されるであろう」と、『ネイチャー』誌でこの論文を激賞し、「この論文はオランダ語を勉強しようという気運を起こさせるであろう」とも書いた。

この状態方程式は、気体と液体を区別なく扱え、気体と液体が連続であることを示す、全く新しい考え方だった。多くの気体や液体に当てはまる普遍性が高く、温度・圧力・体積の尺度を変えるだけで、多くの気体や液体の性質が同じ状態方程式で表せることを導いた。この成果によって、デュワーの水素液化や、カメルリング・オネスのヘリウム液化の方法が開発され、低温物理学への道が開かれた。1876年、新設されたアムステルダム大学の物理学教授に任命され、ファント・ホッフやド・フリースとともに大学の育成に努め、他からの招きを断って引退までとどまった。

1890年にギブズの熱力学理論を分子系に用いて、混合気体の理論を発表し、1893年には表面張力に関する論文、1895年には熱力学ポテンシャルを運動論の立場から扱った論文を発表した。1910年、「液体及び気体の物理学的状態に関する研究」により、ノーベル物理学賞を受賞した。オランダ人としては3人目だった。分子間力や分子の大きさを考慮するという直感は、今も変わらず残っている。1923年3月8日(9日とも)、アムステルダムで死去した。1937年には、生誕百年を記念する国際会議が開かれた。ファンデルワールス力やファンデルワールス半径にも、その名が残る。

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