HISTORICAL PERSON · 1922年没

アレクサンダー・グラハム・ベル

スコットランド生まれの科学者・発明家。聴覚と発話の研究から、1876年に米国特許を取得した電話を発明した。光無線通信や水中翼船も手がけ、ナショナルジオグラフィック協会の創設に関わり聾者教育に尽力した。

生涯
1922年没
死亡地
カナダ(ノバスコシア州 / ベイン・バリー)
出生地
イギリス連邦(エディンバラ)
出典
世界地図
カナダ(ノバスコシア州)

伝記

アレクサンダー・グラハム・ベルは、1847年3月3日にスコットランドのエディンバラで生まれ、1922年8月2日に没した科学者・発明家・工学者である。世界初の実用的な電話の発明で知られる。祖父、父、兄弟は弁論術とスピーチに関連した仕事をし、母と妻は聾だった。このことは、ベルのライフワークに深く影響した。聴覚と発話に関する研究から聴覚機器の実験を行い、アメリカ合衆国で特許を取得した電話の発明(1876年)に結実した。のちには、この発明は科学者としての本当の仕事には余計だったと考え、書斎に電話機を置くことを断った。その後も、光無線通信、水中翼船、航空工学などで重要な業績を残し、1888年にはナショナル・ジオグラフィック協会の創設に関わった。生涯を通じて科学の振興と聾者の教育に尽力し、音の相対単位の「ベル」にも名を残す。

ベルには、メルヴィル・ジェームズとエドワード・チャールズという二人の兄弟がいたが、二人とも結核で若くして亡くなった。父は大学教授で、母はイライザ・グレイスである。生まれたときの名にはミドルネームがなかったが、10歳のときに、兄弟たちのようなミドルネームが欲しいと父に頼み、11歳の誕生日に「グラハム」の名が与えられた。父の友人にカナダ人のアレクサンダー・グラハムがおり、その友人への敬意をこめた名だった。父は彼を「アレック」と呼び続けた。幼いころから好奇心旺盛で、植物標本を集めたり、実験したりしており、12歳のときには、親友の家の製粉所のために、回転するパドルとブラシを組み合わせた単純な脱穀機を作り、それは何年も使われたという。

感受性が高く、母から芸術、詩、音楽を教え込まれて才能を発揮した。正式な訓練を受けずにピアノを習得し、一家のピアニストになった。普段は物静かで内省的だったが、訪問客があると、物真似や腹話術のような「声のトリック」でもてなした。母の聴力が12歳のときから衰え始めたことにも深く影響され、手話を習得して、母の側に座り、家族の会話を手話で同時通訳した。さらに、母の額に直接口を当てて明瞭に発音することで、母が聞き取れるという技術も生み出した。母の聴覚障害に没頭するあまり、音響学を学び始めた。一族は長年弁論術の教育に関わり、祖父アレクサンダー・ベルはロンドンで、叔父はダブリンで、父はエディンバラで、弁論術の専門家として活躍した。そのなかで父は、聾唖者に単語の発音を教える技法や、読唇術の技法を説明している。父は、アレックと兄弟に視話法を教え、ベルはこれに熟達して、父の公開デモンストレーションでも実演し、聴衆を驚かせた。

幼少期は、兄弟とともに自宅で父から教育を受け、エディンバラの王立高等学校にも早く入学したが、15歳で退学した。学校の記録では、欠席常習者で、成績は平凡だった。科学、とくに生物学に興味があったが、ほかの教科にはまったく無関心だった。退学後はロンドンの祖父のもとに身を寄せ、祖父はベルを教師にするために必要な信念と明瞭な話法を教えた。16歳でエルギンの学院に弁論術と音楽の教師の職を得た。1863年、父は科学への関心を育てるため、人間の声を真似てしゃべる機械、ホイートストンのオートマタを見せに連れ出した。ベルは魅了されて、ケンペレンのドイツ語の著作を手に入れ、苦労して翻訳し、兄とともに頭部を作り始めた。兄が喉と喉頭を作り、アレックはより困難な頭蓋骨の製作に取り組み、「ママ」と発音する人間そっくりの頭部が完成して、近所の人々を驚かせた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物