HISTORICAL PERSON · 1922年没

マルセル・プルースト

フランスの小説家。長篇『失われた時を求めて』を死の直前まで書き続け、後の文学に決定的な影響を与えた。

生涯
1922年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 16区)
出生地
フランス共和国(16区)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

マルセル・プルーストは、1871年7月10日にパリ16区オートゥイユで生まれ、1922年11月18日に没したフランスの小説家である。畢生の大作『失われた時を求めて』は、後世の作家に強い影響を与え、ジョイスやカフカと並び称される20世紀西欧文学の代表作とされる。立身出世した医学者の父と、富裕なユダヤ人家系の母の長男として生まれ、病弱な幼少期を過ごした。9歳のときに発症した喘息の持病を抱えながら文学に親しみ、リセからパリ大学へ進んで法律と哲学を学んだが、のちはほとんど職に就かず、華やかな社交生活を送った。習作を経た30代後半から、51歳で死ぬ直前まで、この長編を書き続けた。作中では、紅茶に浸したマドレーヌの匂いから物語が展開し、ある匂いを嗅ぐと関連した記憶が思い出される現象は、「プルースト効果」と呼ばれる。

父アドリヤンは、カトリックの色濃い田舎町イリエの平凡な家の出で、少年時代は僧侶を目指したこともあったが、公衆衛生を専門とする医学博士となり、衛生局総監まで務めた。「防疫線」の理論に基づいてヨーロッパ大陸へのペストの侵入を防ぐなどの功績があり、医学アカデミー会員やソルボンヌ大学教授として、世界的な名声を得た。母ジャンヌは旧姓をヴェイユといい、パリの裕福なユダヤ人の株式仲買人の娘で、古典文学を愛好する教養の高い女性であった。マルセルは、芸術に対する繊細な感性をこの母から受け継いだ。母は結婚後もユダヤ教を守り続けたが、夫妻は子どもには父の家系にならってカトリックの信仰を持たせることに決め、生まれたばかりのマルセルに1871年8月に洗礼を受けさせた。1873年には、生涯にわたって親しい関係を保った弟ロベールが生まれた。弟は兄と対照的に、身体が丈夫で明朗で、のちに父と同じ医学の道に進んだ。

一家は高級官僚の多く住むパリ8区に住み続け、プルーストは成人後も、晩年の数年間を除いてほとんどの時期を8区で過ごした。パリの南西には父の出身地のイリエがあり、一家はたびたびバカンスに出かけた。ロワール川が近くを流れる豊かな自然に囲まれたこの町は、のちに『失われた時を求めて』の主要な舞台のモデルとなり、作品にちなむ名称を持つ、いわゆる「プルースト巡礼」の聖地となっている。しかし1881年春、9歳のマルセルは、ブローニュの森を散策したあとに喘息の発作を起こした。花粉と外気が障ることを心配した父の判断で、イリエに行くことを禁じられた。喘息は生涯つきまとい、自由に旅行できず、花を愛していたのに、生花に近づくことができなかった。病弱なマルセルは、『千夜一夜物語』や『アンナ・カレーニナ』などの文学に親しんだ。

1882年10月に、ブルジョア気質で自由主義的な気風で知られる名門のフォンターヌ高等中学(のちのコンドルセ高等中学校)に入学した。成績は悪くはなかったがむらがあり、病気で欠席が多く、1年の留年も経験した。最終学年に習った哲学のダルリュ教授に深く影響され、後にはその個人授業も受けた。幼いころから母や祖母の影響で古典文学に親しみ、友人たちの前でラシーヌやユゴー、ボードレールの詩句を暗誦して驚かせ、リセの最終学年には、文学好きの友人と同人雑誌をいくつもつくった。1889年10月にバカロレアを取得し、オルレアンで1年間の兵役に就いた。厳しい訓練は喘息のために免れ、優雅な軍人生活を送ったという。1890年11月にパリ大学法学部に入り、のちに自由政治学院や文学部にも通って、1895年までに法学と哲学と文学の学士号を取得した。

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