HISTORICAL PERSON · 1971年没

ジム・モリソン

アメリカのロック歌手・詩人。バンド、ドアーズのボーカルとして知られ、詩集も発表した。「27クラブ」の概念を決定づけた人物。

生涯
1971年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 4区)
出生地
アメリカ合衆国(メルボルン)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ジェームズ・ダグラス・「ジム」・モリソンは、1943年12月8日にアメリカ・フロリダ州メルボルンで生まれたロック・ミュージシャン、詩人である。ロックバンド、ドアーズのボーカリスト、ソングライターとして知られ、バンド活動とは別に数冊の詩集も発表した。父ジョージ・スティーヴン・モリソンは海軍士官で、のちに海軍提督となった。母はクララ・クラーク・モリソンで、のちに妹と弟が一人ずつ生まれた。厳格で保守的な両親に育てられたが、成長してからは、両親の教育とはまったく違う価値観に基づいて音楽活動を行った。彼自身によれば、人生で最も重要な出来事は、1947年にニューメキシコ州へ家族旅行をした際に起きた。夜明けの砂漠で、インディアンを乗せたトラックの事故に出くわし、死者たちを目にして、その魂が自分の中に入り込んだと思ったのだという。モリソンはこの出来事を、たびたび自分の歌に登場させた。ただし、父と妹は異なる記憶を持っており、妹は、彼がこの話を語り、誇張するのを楽しんでいたと述べている。

父の転勤で転居を重ねたためか、内向的になり、文学に関心を寄せた。ニーチェの美学や道徳論、プルタルコスの『対比列伝』、象徴主義の詩人ランボーの作品などから影響を受け、のちの散文詩の形式にもランボーの影響が及んだ。ウィリアム・バロウズ、ジャック・ケルアック、カフカ、カミュ、コクトー、ボードレールなどの影響も受けた。高校の英語教師によれば、彼は他のどの生徒よりも読書家だった。高校卒業後にフロリダ州立大学に入ったが、哲学や詩に傾倒し、1964年1月に家族の反対を押し切ってカリフォルニア大学ロサンゼルス校に編入して、映画を専攻した。
1965年夏、大学でレイ・マンザレクに出会ったモリソンは、彼に自作の詩を読んで聞かせた。マンザレクはその詩に惹かれ、バンドを組むことにした。ジョン・デンズモアが加わり、脱退したマンザレクの兄の代わりにロビー・クリーガーが参加して、ドアーズが完成した。バンド名は、オルダス・ハックスレーの『知覚の扉』に由来し、この題はブレイクの詩にさかのぼる。モリソンは「ミスター・モジョ・ライジン」を自称した。これは彼の名前のアナグラムで、最後のアルバムの曲に用いられた。また「トカゲの王」とも呼ばれ、それは叙事詩「セレブレーション・オブ・ザ・リザード」に由来する。結成前から酒豪で、過剰な飲酒にふけり、酩酊してスタジオに入ることもあった。1969年3月、マイアミで公然わいせつの容疑で逮捕され、のちに有罪判決を受けた。この不祥事でドアーズは反社会的なバンドと非難され、公演は縮小を余儀なくされた。1970年12月12日のニューオーリンズ公演を最後に、公演活動を停止した。

1971年1月に『L.A.ウーマン』の録音を終え、同年3月、著作に専念するためパリへ移り住んだ。7月3日、パリのル・マレのアパートの浴槽の中で死去した。第一発見者は当時交際していた女性である。事件性がないと判断した警察は検死を行わず、死因は心臓発作と発表されたが、薬物の過剰摂取だったとも考えられている。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬され、墓地はパリの観光名所のひとつになっている。ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに続いて、同じ27歳で亡くなったことから、いわゆる27クラブの一人に数えられる。2010年12月には、マイアミの事件について、40年後にフロリダ州から恩赦が与えられた。「ローリング・ストーン」誌が選ぶ史上最も偉大なシンガー100人では第47位である。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物