HISTORICAL PERSON · 1194年没

サンチョ6世 (ナバラ王)

賢王と呼ばれたナバラ王(在位1150〜94年)。称号から「パンプローナの」を除き「ナバラ王」を名乗った。サン・セバスティアンにフエロを与えて海運・通商を整え、娘ベレンガリアをリチャード1世に嫁がせた。

生涯
1194年没
死亡地
スペイン王国(ナバラ州 / Navarreria)
出生地
—
出典
世界地図
スペイン王国(ナバラ州)

伝記

サンチョ6世は、ナバラ王(在位1150年から1194年)である。「賢王」とも呼ばれる。1132年(1133年ごろとも)に生まれ、父はパンプローナ王ガルシア・ラミレス、母はマルガリータ・ド・レーグルである。両親の仲はよくなく、母は愛人が多かったとも伝えられ、1141年5月25日に没した。父はのちにアストゥリアス出身のウラカと再婚し、娘サンチャが生まれた。サンチャはサンチョ6世の治世の政治で重要な役割を果たした。

1150年に父の跡を継いで王となった。称号から「パンプローナの」を除いて、単に「ナバラ王」と名のった最初の王である。受け継いだ王国は弱く、アラゴンとカスティーリャに分割される危険にさらされていた。1151年には、レオン・カスティーリャ王アルフォンソ7世とバルセロナ伯がトゥディレン条約を結び、ナバラの分割を取り決めた。サンチョは、アルフォンソ7世への臣従をあらためて誓い、妹ブランカをその長男サンチョに嫁がせた。1153年には、ソリアでアルフォンソ7世と新たな和約を結び、皇帝の王女サンチャとの婚約が決まって、サンチョは未来の岳父から騎士に叙された。1157年5月にはまたナバラ分割を取り決める条約が結ばれたが、アルフォンソ7世が8月に没して実現しなかった。サンチョは新王で義兄にあたるサンチョ3世に臣従を誓い、1157年にはアルフォンソ7世の王女サンチャと結婚した。1158年にサンチョ3世が没して、幼いアルフォンソ8世が王になると、カスティーリャは後見をめぐる争いで弱り、サンチョは不利な臣従関係から逃れた。

1164年には、妻の甥にあたる幼いカスティーリャ王アルフォンソ8世に狙いをつけ、レオン王フェルナンド2世と結んで、東のラ・リオハへ侵入した。1168年には、アラゴン王アルフォンソ2世と密約を交わし、バレンシア王兼ムルシア王の領土を分けようと攻め入った。しかし1173年に、イングランド王ヘンリー2世の協力を取りつけたアルフォンソ8世に反撃され、同年にカスティーリャに有利な形で和睦した。1180年には、ギプスコアの港町サン・セバスティアンにフエロを与え、海運と通商を法で定めて発展をはかった。ナバラでは、フエロによる都市化が進んだ。多くのシトー会修道院も建てた。

しかし1190年に、カスティーリャに反発したアルフォンソ2世と同盟し、翌1191年には、ポルトガル王サンシュ1世とレオン王アルフォンソ9世を加えた反カスティーリャ同盟をつくった。同じ年、カスティーリャに対抗するため、アキテーヌ公でもあったイングランド王リチャード1世と、娘のベレンガリアを結婚させ、リチャード1世からバス・ナヴァール(現在のフランス領バスク)を与えられた。サンチョ6世は1194年6月27日にパンプローナで没し、長子サンチョ7世が王位を継いだ。娘ブランカは、シャンパーニュ伯ティボー3世の妃となり、のちのナバラ王テオバルド1世の母となった。

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