伝記
プブリウス・テレンティウス・アフェルは、共和政ローマの劇作家である。紀元前185年に生まれ、紀元前159年に亡くなったとされるが、生年には諸説がある。ドナトゥスは紀元前185年とし、フェネステラは10年早い紀元前195年と主張している。ネポスは、寵愛を受けた小スキピオやラエリウスと同い年だったとしており、一般にはこの説に沿って前185年と考えられている。彼の喜劇が最初に上演されたのは紀元前166年から紀元前160年ごろであり、確かなのは作品の上演時期だけだとも言われる。
伝記を残したスエトニウスによれば、カルタゴ生まれの彼は、元老院議員テレンティウス・ルカヌスの奴隷としてローマへ連れてこられた。ルカヌスは彼の美貌と頭のよさを買って教育を授け、やがて奴隷から解放したという。氏族名テレンティウスは、この主人に由来する。第三名のアフェルは、アフリカ出身であることを暗示するが、ルカヌスの奴隷だったという話や、同じく奴隷出身と揶揄された喜劇作家カエキリウス・スタティウスとの出会いの逸話は、作り話かもしれないとされる。
紀元前166年に『アンドロス島の女』でデビューし、紀元前160年には、小スキピオの実父アエミリウス・パウルスの葬儀のために『兄弟』が上演された。『義母』も同じ年に上演されたとされるが、観客は派手な見世物が始まると去ってしまい、この作品の上演は二度失敗している。作者は実は小スキピオやラエリウスだという噂もあった。貧しかったともいわれるが、スエトニウスによれば二十ユゲラの土地を持ち、娘は騎士階級に嫁いでおり、著作でいくらか報酬を得ていたのは確かだろうとされる。
その後、海外へ出かけて亡くなったとされるが、旅の理由も行き先もはっきりせず、新作の原稿をなくした失望、溺死、病死など、さまざまな死因が語られている。突然の渡航は追放だった可能性もあるとされる。六つの戯曲は、『アンドロス島の女』『義母』『自虐者』『宦官』『ポルミオ』『兄弟』で、すべて現存している。『自虐者』は紀元前163年、『宦官』と『ポルミオ』は紀元前161年の上演とされる。
ローマ喜劇では、ギリシアの新喜劇を翻案して人気を得たプラウトゥスとテレンティウスが、のちに「喜劇の父」と称される。前者が笑いを追い、原作に容赦なく手を入れて庶民的な作品にしたのに対し、テレンティウスは原作に忠実で、下手にローマ化せず、笑いよりも写実的な描写を追った。その上品さはキケロやホラティウスに好まれ、カエサルは「純粋な言葉の愛好者」と評した。『自虐者』の一節「私は人間である。人間に関わることなら何でも自分に無縁であるとは思わない」は、キケロやセネカにも引用された有名な標語になった。
作品は中世にも読まれ、修道女ロスヴィータは彼の構成を学んで六つの劇を書いた。1470年にはストラスブールで全集が出版され、エラスムスはラテン語習得の最良の教材として彼を挙げ、ルターも子供の学校教育のために喜劇を薦めた。15世紀にはイタリアのフェラーラでプラウトゥスとテレンティウスの作品が上演されるようになり、それを元にした劇や幕間劇が生まれて、のちのオペラへつながっていったという。モリエールら後世の劇作家にも影響を与えたとされる。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- ペリアンドロス (紀元前584)
- ゲルマノス (1826年没)
- フルウィア (マルクス・アントニウスの妻) (紀元前40年没)
- テオドロス1世パレオロゴス (1407年没)
- リュクルゴス (スパルタ王) (紀元前210年没)